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八幡水力電気株式会社について②

さて、2回目。
岐阜県史 史料編 近代3 第3章 鉱工業の振興 第7節 電灯」 P.749〜752より抜粋。
乙姫滝の発電所ができることになる顛末が書かれています。

 此鉄道(明治廿九年頃金城鉄道=越美南線北線のこと)の設計は、澁沢、大倉等実業家の賛成得て、工学博士渡邊嘉一氏其局に当り、沿線の町村民も大に意気込みて奔走し、金沢市の有力家も共に力を添へたれども、中々実行さるる機運に致らず、水野氏此用向にて金沢に出張せる時、同市有志家が電灯経営の計画あるを聞き込みて、氏も郷里に帰らば水力豊富なることなれば、是非水電を起さんと思ひ、帰郷々某土木技師に托して、附近の水利を調査せしめ、町つぐきの乙姫滝の一湧泉は如何と調べたるも其用を為さずとし、一時此計画中絶せんとせしが、水野氏は更に屈せず、小木博士に依嘱し再調査に着手し、小木博士の代人某出張して踏査の結果、吉田川の上流(八幡町より約三十町程上流)に発電所を設け、落差百尺にて愈実行せんとせしに、此附近の地主二十四名神々水利使用を承諾せず、又々挫折せんとせし時、岐阜電灯株式会社前社長岡本太右衛門氏は、当時各地の水電事業を経営して経験ある大岡正氏を紹介しくれたり、依て大岡氏に万事を委託したるに、同氏は前に用を為さずとせる手近かの乙姫滝にて結構なりとし、此水力を使用すること、なしたり、

昔の文なので、丸がなく、点だけなので、読みにくい文ですね。
まとめると、
① 水力発電を作ることになったきっかけが、長良川鉄道建設のため、金沢に行った時に、水力発電の話を水野氏が聞いてきたこと。
② 乙姫滝の可能性を調べたが無理であったが、諦められず、小木博士に依頼して、吉田川上流30町の距離に可能な場所を見つけたが、水利権者に了解が得られなかった。
③ それでも諦めきれず、岐阜電灯岡本太右衛門氏に頼み、紹介を受けた大岡正氏が乙姫滝でできると判断した。
 出てくる水野氏は、製糸工場を経営していた水野伊兵衛氏。ネットで検索できる範囲でしらべると、奥美濃おもだか家民芸館にある日本画の作者、水野柳人の本名、水野伊兵衛(明治29~昭和38)とでてくる。(https://ameblo.jp/fk3yi8anpontan/entry-12507761541.html)
 八幡水力電気合資会社が設立されたのが、明治31年なので、この人物ではない。おそらくお父さんなのではないだろうか。代々、跡継ぎは水野伊兵衛の名をついているのだと考えます。
 また、水野伊兵衛の名で調べると、明治初期の岐阜県下の銀行類似会社についての記事があります。(http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/ruiji.html) 
 ”明治初期の岐阜県内各地には、商工業を営むかたわら仲間金融を行う一種の銀行類似会社とみられるものがあった。・・これらはいずれも生糸、米など県特産物の産出地域に設立された。その地域の特産物と密接な関係を保ちつつ金融機能を果たした” と記載されています。
 八幡には、明治13年に杉下五平氏が作った濃北会社(後に郡上銀行)と明治14年に水野伊兵衛が作った真利宝会社(後に郡上銀行)という民間の銀行があったと記載されています。
 杉下五平氏も同じく製糸業をしていました。明治14年11月5日の東京日日新聞に、渋沢栄一氏の元に他県の業者とともに出向いてお願いをしたという記録が、渋沢栄一記念館の資料に残っています。のちに、杉下五平氏は八幡町長になります。
(https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK150003k_text)
 杉下五平氏は、八幡水力電気株式会社の設立者の中には入っていません。

 当時、八幡において、製糸業が主産業で、如何に地域経済にとって大きな存在であったかが分かりますね。
続きます。

 而して岡本氏は其経営全部を引受くべしと申出てたるが、水野氏の方にてもそれではこまるとて交渉の上、岐阜方六分、八幡方四分の割合にて出資し、工事を全部大岡氏に依頼することとせり、此時大岡氏は、此水力は所要の四十馬力とこ業ろか、六十馬力は屹度得らるべしとて、四十馬力以上を鋸 得たるときは、一馬力につき一円ずつ、を贈与する約束を買為足もなしたりとか、落差百六十尺、水車は三吉工場製ベルトン形にて、鉄管も三吉工場製なり、発電機は芝浦製直流エキソン形十号(十六燭力ランプ四百個を点火し得べきもの)にして、其他内外線工事共全部を合して、工事費約一万円の約束なりし

まとめると、
① 岐阜電灯が作ると言ったが、水野氏はそれでは困ると、八幡で、40%を出資することに。
② 当初、乙姫滝では発電は無理と判断していたのに、40馬力どころか60馬力は得られると、40馬力以上出た場合、1馬力に付き、1円のマージンをとる約束をさせられた。
③ 仕様 落差約48m、三吉工場製ペルトン水車、発電機:芝浦製直流エキソン型10号、工事費約1万円なり。

 八幡側に水野氏の名前しか出てこないので、水野氏が中心として、話を進め、八幡側が4割の出資金を用意するのに、他6名の出資者を集めたのであろうか。
 名前の出てくる渋沢氏は皆さんご存知の渋沢栄一氏です。
 ここで出てきた、大岡氏とはどんな立場の人だったのかを調べてみます。

つづく

 

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