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八幡水力電気株式会社について④

乙姫滝の水力だけでは、雨量の多い時年間1~1か月半しか発電できず、
石炭火力の動力を入れて、運用されました。

「岐阜県史 史料編 近代3 第3章 鉱工業の振興 第7節 電灯」 P.749〜752より抜粋の続きから

 かかる不完全なる機械を運転しながら、開業後四十年の拡張まで九ヶ年間、初めの二ヶ年を除いては、毎回年五分つ、の利益を収めたりしとは、殊勝といふべし

”五分”とあるので、年5%の利益を収めたようです。水野氏の努力の結果なのでしょう。

 時勢も漸く進歩し、各地の電灯会社又次第に拡張工事をなし、面目を革むるに至りしかば、明治三十八年八幡電気にても愈改革のことを決し、水野社長上京して、芝浦製作所に就て設計を依頼す、

 明治38年、八幡以外の各地にできた水力発電会社が拡張工事をしていることから、八幡でも発電量を増やす必要があると考えたのでしょう。
 電気事業調査部という日本の戦前期における電気事業(1886年~1942年)を調査するサイトがあり、その中、岐阜県の電気事業者のページでしらべると、当時岐阜県下に81もの電気事業者が存在したことが分かります。
 明治38年、西暦1905年時点で、岐阜県下にて電気事業をしていた会社は、八幡水力電気以外に、岐阜電灯、飛騨電灯しかありません。1906年には中津川電力社、多治見電灯所が出来ていますので、発電所の開発はすでに行われていたのかもしれません。

 郡上市内を見てみると、白鳥電気㈱1914年、上ノ保川水力電気㈱1919年、
和良水力電気㈱1920年、口明方村1921年、吉田川水力電気㈱1922年、小駄良川水力電気(資)1924年の名前があります。
 これらの小水力発電会社の詳細が、国立国会図書館デジタルコレクション、電気年鑑昭和3年にあります(駒田さん調べ)。
 白鳥電気(コマ番号186)は、牛道村野添と上保村白鳥に発電所を持っていたとあります。吉田さんから、情報いただきましたが、貴船神社の場所が発電所跡であることの記念碑があります。そこには第3発電所と書いてあります。第3発電所は昭和2年に作られたと碑文にあるので、当初の発電所が第1発電所なのではないでしょうか。

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野添発電所、碑文

つづく

追記
書いた後、駒田さんから郡上文化遺産の映像ライブラリに第三発電所跡がありますよと教えていただいたので、リンクを貼ります。

https://www.youtube.com/watch?v=m2b9yDsFnNo&feature=youtu.be&fbclid=IwAR03zZfoadqZ9ZUiT7TF6aDXSyKW4F225B11TJrsGzypTrSxyB6mhvvRiCE

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