団塊の世代ジュニアの少年時代(本編5)

 コロナ禍の中、8月1,2日に二年ぶりに土屋先生と小学校の同級生たち(とその他)とキャンプに行った。昨年は大雨で中止となったため。
 このキャンプは何年前から始まったのか覚えていないが、年に一度、男だけでやるキャンプ。自分の子供は連れてきてもいいが奥さんはダメという条件。なので、野郎ばかりの第三者から見たら怪しい団体にみえるだろう。
 大阪にいたころは、この同級生メンバーと月に一回はキャンプに行っていたが(一年中)、それぞれ転勤や家族が出来て、自由が利かなくなり疎遠になっているが、年に一度、土屋先生主催のキャンプにはなぜか皆集まってくる。

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 コロナ禍で、土屋先生がもう60過ぎているため、お前たちだけで行って来れば?という話になりかけたが、土屋先生が来るからみんな集まるキャンプなので、来ないなら無しになるんじゃないかということで、土屋先生も参加することに結局なった。
 何かするわけでもなく、食って、ビール飲んで、川入って、を繰り返すだけ。もう40年近い付き合いなので、特段気を使うメンバーでもなく。
 土屋先生に出会った話は(本編)に書いてあるので、そちらを読んで頂きたい。
 小学校の時に野外クラブにてキャンプに行くようになった話を(本編3)で書いたが、noteにそのことを書いていることを、土屋先生に伝えて、改めてなんで当時、そんな教師として、リスクの高いことをしていたのかを聞いた。
 先生、山手小学校に赴任してくる前は、古江台小学校にいて、そこで行った登山(古江台小学校でも同じように野外活動をしていた)で遭難騒ぎを起こしているという話を何度も聞かされた。私たちの母校山手小学校で行っていることは、古江台小学校のころに比べると、おとなしくなったということらしい。
 土屋先生は、かなりの教育思想の持ち主で、40年前、今の学校教育ではたくましい子供たちを育てることが出来ないと、自分の思う教育をどのように展開するのかを言うことをキャンプを通じて、実践していたということらしい。
 当時のアメリカの教育思想(名前言っていたが忘れてしまった)をどのような形で小学生に実践するのかを模索していた。自分で考えて、自分で行動して、出来る子供たちを育てたいと。
 だから、本編3で書いたようなキャンプスタイルとなっていた。2泊3日、3日4日と日程が決まっているだけ。現地に行って何をするのかは自分たちで考えて、決めて、行動するというもの。
 主催者側が、一日目は何をする、二日目は何というようなことは一切用意しない。自分たちで好きなようにすればいい。
 親に向けた説明会の時には、スタッフ(リーダー)は何もしません。自分たちですべてするというキャンプなので、それが出来ないなら参加しないでくださいということを繰り返し話したと言っていたそうだ(今回のキャンプで確認)。
当時、ピークの時は、120人ぐらいの参加があった。バス3台で行った。なぜか回を追うごとに参加者が増えて行った。ただ、増えた分、キャンプの技術もないのに参加する児童も増えた。火が起こせず、一日中飯を作っている班。何も出来ずできる子にしわ寄せが行き、キャンプ中にけんかをして、仲が悪くなる班。そんなことは織り込み済みなので、リーダーも特に何も対処しない。けがをするようなことをするときは対応する。
テントに火が移り、消そうとしてやけどをした子がいた話。
おなかが痛いと病院まで連れて行って、単にキャンプという環境のため便秘のためおなかが痛く、病院で出したら治ったという話。
川で遊んでいて、流されそうになった子を必死に助けた話。
上げたらきりがないんだろうけど、よくまあ事故が起きなかったもんだと。

 そう、今回キャンプしている場所は、野外クラブが夏にキャンプする場所だった、滋賀県永源寺町の永源寺キャンプ場。なので、このキャンプ場にも40年近く通っている。
 

 さて、今、こんなキャンプの案内出したとしたら、参加者いるんだろうか。その前に許されるのだろうか。多分無理だろうな。

 私は、小学校5年生の時からこのキャンプの参加者から始まり、中学校、高校とずっとリーダーをしてきた。なので、今の私の行動のベースには結構な影響を与えているのだろうなとこの年になって、客観的にみると感じる。

6につづく。


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