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命名に働く引力 その神秘

愛猫「承」は仮名である。

このnoteという場だけの仮名である。

わたし以外には誰も知らない仮名だ。

それなのに、
承と書くたびに脳内に愛猫の姿をリンクさせているせいなのか
書くことにより、当時の強い感情が想起され、
感情が入りすぎるせいなのだろうか?、

とっさに本名が出てこなくなってきたのだ。

ここに文章を書き始めて、まだ3週間も経っていない。

愛猫のイメージが
心なしか姿や雰囲気までが「承」っぽくなっていく。

「つぐ」という響きはわたしの中では 
小鳥っぽい愛らしいイメージである。
具体的には、ツグミやすずめやヒヨドリである。

本名のイメージはそのままに
更に、本猫のなかに存在していた
「承」っぽい本質がどんどん引き出されていく感じだ。

ひとも猫もみんな多面的な存在である。

名前によって、その響きに呼応した部分がひきだされるのかもしれない。

「承」は、今や本猫の「ミドルネーム」みたいな存在になっている。

名前のもつ魔力を実感する。

もしかしたら、クリエイター名にも自分が思っている以上の力があるのではないか?
わたしは本名が、誰からも「それっぽい」と言われるので
どう作用するのだろうか?
「維唯花」という名は、読みは後付けで、
ただただひたすらに、漢字のみにこだわった名だ。

たとえ、仮名でも
名づけには何らかの引力が働いている。

この「なんとなく」という
自然の引力を正確にキャッチする技術が魔術なのだろう。
その技術がオートマティックであればあるほど、
精度が高くなる。

追記 
いまこの記事を書くためにツグミを検索してみたら
誕生鳥、鳥言葉というものが出てきた!
こんなものがあったんだ。。

初めて聞く言葉であるが、
ツグミの鳥言葉は「成長する心」だという。

なんか、わかる。

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