そらに溺れる
大学一年生のとき、そらに溺れそうになったことがある。
比喩ではなく、ほんとうに息ができなかった。
大学の帰り道、苦しくて苦しくて、体格に見合わない肺活量に我ながら戸惑った。
いじめられていたわけではない。
(授業は1人で受けるのが超かっこいいと思っていたので、ほとんど友達はいなかったが)
お金に困っていたわけではない。
(イギリス在住の親から初任給でもちょっと苦しいくらいの賃料を払ってもらっていた、私大は学生をほんとうにかもだと思っている、、)
ただ、理解不能だったのだ。
世界が理解できるということが。
わたしの中で世界は、無限だった。
たくさん勉強して、いい大学に入って、サークルでチヤホヤされて、社長になる。
そういったことを想像することが、楽しくてたまらなかったのだ。
(実際わたしは私大に行くと可愛い子の中で埋もれるので、国立に行って地味な女の子の筆頭に立とうとしていた。その夢も虚しく高3の数学の模試が3点だったことでお母さんに国立をやめろと懇願された。)
国立にはお母さんと塾の先生の長時間にわたる説得で諦めるという英断を行ったわけだが、
まぁ大学に入ってお金にも困らずふらふらと健康的に暮らしていた小娘に、苦しいなんぞ口が裂けても言えないはずだ。
しかし結局寄生獣のように顔が裂け
「く、苦しい、、、」
と唸ってしまった。
(口なんか早めに裂いといたほうがいい。)
それは自分のことでありながら、ミギーとの出会いくらい衝撃だった。
どちらかというと寄生獣の主人公がミギーを受け入れる速度の方がずっと速かった。(あれはあいつが狂ってるてのもある)
こんなに幸福なわたしがなぜこんなに苦しいんだ
苦しんでいい資格なんかないのに
そこからわたしは、遅咲きの厨二病デビューを果たした。
華々しい大学デビューを、
痛々しい厨二病デビューにゆずり、
立派な左目を育ててことごとく就活に失敗した。
だが、この厨二病デビューは、自分にとって
1番のビビビだった。
いきなり歴史人物がキリスト教になったりするが、あのビビビはこんな感じなのではないかと思う。(違ったらマジごめん)
疼く左目を押さえながら衝撃的な事実を悟った。
世界はこれで全部だ、と
わたしはずっと思っていた。
世界はすごいものだと。
どう凄いのかと言うと、それはわからない。
でもどうしてなんて問う必要がないくらい
大きくて未知で、素晴らしいものだと。
でもある日、いや、これが全部なんだ、と思った。
その時はどうしようかと思って、溢れ出る涙を拭いながら不安を一心に姉にぶつけた。
「もしもし。世界って、これで全部らしい。
ねぇ、全部なのかな。全部だったらどうしよう」
姉の返答は覚えていない。発言の有無に関わらず、わたしは自分の発見に酔っていた。
たとえわたしがすっごい足が細くなって(わたしは自分の足が嫌いすぎた。この足のせいで一生誰にも愛されないとさえ思っていた)
ビジネスコンテストとかで優勝して(学生で起業するのは超かっこいいがExcelが嫌いなので諦めた)
なにかの著名人として世界から注目されても(中3の夢は教科書に載ることだった。シンプルに恥ずかしい。友達に高校に入ってから、あれ、なんだったの、、ときまづそうに聞かれて、きまづいなら聞かないで欲しいと思った)
世界は、これで全部なんだ
そのとき、なんだかすべてが吹っ切れた。
自分は目を引くほど美人じゃないし
暗記科目以外はめっぽう弱い
さんまさんほど明るくないし
アーティストほど闇はない
でも、いいじゃないか。
それが全部あったって、
世界は、これで全部なんだから。
なんにも得意じゃないし
なんにも成していないのに
世界が想像できてしまうことが怖かった
世界に触れることが怖かった
最近は、世界について思い悩むことはあんまりなくなった。
時々とても寂しいが、9時5時労働は人間に無駄なことを考えさせないためにあるすごい発明だ。
適度な負荷と、適度な快楽。
でも時々思うんだ。
頼まれた仕事が終わり、次の仕事をもらう時
仲の良い友達と思い出話を咲かす時
ちょっといいお酒を、少し身構えて飲む時
ほんとに、ほんとに、ほんとに
世界はこれでぜんぶなんだ
その瞬間が怖くて怖くて、
布団にくるまって朝を迎える
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