「西田藍さんたちと振り返る「学校からの逃げ場のなさ」」論点(アイスカハラ)について

・レジュメを一読しての感想:大きな焦点が三点(朝課外をキーとする学校論・「西田藍」のアイディンティティ・江永泉「闇の自己啓発にむけて」のテキスト読解)ほど見られるため、「限られた時間でのスペースで、空中分解しないでいられるのか?」という疑念は残る

〇各論点について

①    「朝課外」をキーとする学校論

・「当事者性」以外の観点からも「朝課外」に対する批判的コメントは可能(「EBPM:エビデンスに基づく政策形成」のアプローチ?)
例)2019年瀧本哲史ゼミ政策分析パートhttps://x.com/tsemiseisaku/status/1109756811559751680

 洗脳的な企業研修との類似→企業研修に関しては、「精神世界」「オカルト受容」からのアプローチがある(持田保)
"あなたの聴かない世界トーク"特集:日本ヒッピー史から精神世界、そしてスピリチュアルへ https://youtu.be/nd21IqsDRQQ 

 ・「学校」からのExit
Cf)入不二基義「予備校文化(人文系)を「哲学」する」ver.3
→「予備校文化」と「メガ教育産業」

Cf)綿野恵太『逆張りの研究』第六章「そこまで言って委員会」
→優等生・不良・反社会的な人々(著者は「反社会的な人々」にやや引き付けた実感を語っていることに留意)

②    「西田藍」のアイディンティティ

・ミスiDでの登場以前(吉田豪『帰ってきた人間コク宝』に詳細なインタビュー有り)
→吾妻ひでおのエッセイ漫画に登場する「女子高生」
 ジュニアアイドル時代の「仲村みう」ファン
 コスプレイヤー→シン・エヴァ論集のエッセイ
 2ちゃんねる家庭板住人(だったはず)→「或る女おたく「おれ」」のネット文体

 ・「或る女おたく「おれ」」(平仮名「おたく」表記は大塚英志由来なのだろうか?)
→ネット文体「おれ」とエッセイ文体「私」のデッドロックによるオタク的自意識の吐露

Cf)木澤佐登志「LSDと私」・「サイケデリックの嗜み」における、固有名交換可能なテキストによるオタク的自意識の吐露

 ・建築士(西田藍のTwitterでは過去「渡辺篤史の建もの探訪」と思しき言及がある)https://x.com/iCharlotteblue/status/642690125504233472 
→フェミニズムと「空間史」の接点:西川祐子

 ・発達特性・女性性・当事者性
→『帰ってきた人間コク宝』インタビューでの最後の展望は、その後紆余曲折を経て現在に至っているように思える(再焦点化しつつある「当事者性」をめぐる言説における功罪の議論と、西田藍の活動とその困難は同期しているように思う)

・「西田藍」とは誰か?

・重度のアズマニア(屈指のコレクター)であり、山岸凉子の熱心な読者
・日本SF史であれば、新井素子や池澤春菜のファンダム受容の系譜を考えた方が良いのか
・アイドル史であれば、宍戸留美・小明・姫乃たま、といったインディーズアイドルの系譜にも繋がりえる(なお、西田藍本人は事務所の所属時期がそれなりに長いことに留意)
・サブカルチャーを対象とするライターの系譜であれば、木澤佐登志との共振性は気になっている(成人漫画・インターネット・フィクション・少女表象・P・K・ディックへの態度)
Cf)木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド』補論2と西田藍「それでも、物語に触れる」(現代思想2019年9月号 特集=倫理学の論点23)の問題意識は、コインの裏表ではないか? 

・暫定的ではあるが、「西田藍」とは、複数の文脈の私(=西田藍)を束ねる可塑性のある名である、と言えそうな気はする(同語反復的レトリックを使えば、西田藍は「西田藍」を発明したのだと思う)

③    江永泉「闇の自己啓発にむけて」のテキスト読解

・『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 』のレトリックに対する批判は、瀬戸夏子『白手紙紀行』(泥文庫)の228~230頁にも見られる

・木澤佐登志『失われた未来を求めて』あとがきとの共通性

・それでもなお、残り得る「身体性」?(再保守化する危険性も無いことは無い)

では、実りある良きスペースを!(盛会を祈りつつ、筆を置きます)

追記:2024年6月15日:誤字脱字を訂正しました。


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