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物で詩を書くアーティスト@マーク・マンダースの不在展

『マーク・マンダース マークマンダースの不在』展

難しかったです。
難しかったけれども、展示をすごく楽しめました。
そして、マーク・マンダースは興味が尽きない人でした。

何が難しかったのかというと、本人による作品の解説です。
分かりそうで分からない...でもなんとか分かりたい...
そのなんとか分かりたい部分というのが、私が楽しめた点なのかもしれません。

今回は、
マーク・マンダースについて
物で文を書くということについて
を中心に、引用を多めにまとめてみます。
「すごい...」「すてき...」ばかりになってしまいそうです...。

マーク・マンダースについて

1968年オランダのフォルケル生まれ。現在はベルギーのロンセにスタジオを構えています。1986年、18歳のときに、自伝的な要素を含む小説執筆の試みを契機に得たと言う「建物としての自画像」という構想に沿って、以降30年以上にわたって一貫した制作を続けています。その構想とは、自身が架空の芸術家として名付けた、「マーク・マンダース」という人物の自画像を「建物」の枠組みを用いて構築するというもの。その建物の部屋に置くための彫刻やオブジェを次々と生み出しインスタレーションとして展開することで、作品の配置全体によって人の像を構築するという、きわめて大きな、そしてユニークな枠組みをもつ世界を展開しています。(東京都現代美術館公式サイトより)

すごい...。建物として自分を表す...。
この構想に至る経緯を、ご本人のインタビューを元に見てみます。

 (1)特別な瞬間の訪れ(幼少期)

大工であった父親がいつも何かを作っているのをみて、幼いマンダースも自然と何かを作るようになったのだそう。

そんなある日、マッチ棒でできた飛行機と縄で鉢のようなものを作ります。

それを見ながら、自分が何かを作ったと気づき、誇らしくなったマンダース。自分の手で世界に新しいものを作ったという格別な気分だったと言っています。

この出来事について、

とても特別な瞬間が訪れました(「マーク・マンダース マークマンダースの不在」展 作家インタビュー動画より)

と答えています。自分が歩み始める道のきっかけになった瞬間というのを、人は案外覚えているものなのですね。

 (2)ピカソの考えがわかった(16歳)

16歳のとき工業デザイナーとして働き始め、マンダースの環境が一変します。そこには本がたくさんあり、その中にピカソの画集がありました。絵を見て、ピカソが何を考えていたのかが見えたと言います。

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彼の動きが見えた 最初にこれをこうして 次はこう 
時を振り返り 彼の心の内側を覗いたような気がしました(作家インタビュー動画より)

すごい...。
今度誰かの画集をみるときは、時を振り返り、その作者の動きにまで思いを馳せてみようと思います。

 (3)目にしていたものを何とかしたい(思春期)

マンダースは書くこと言葉を使うことを重要視しています。それは、彼自身の思春期と関係があるようです。

マンダースの母親は戦争で息子を亡くし、たびたび心を病んでいました。そのとき、

人間の脳はなんて複雑なのだろうと そしてなんと脆いものか(作家インタビュー動画より)

と強く思ったのだそう。そして、この思春期に感じたことを何とかしたいと思い、自分の心を探求することに決めました。

そして、オブジェを使ったセルフポートレイト作りを始ることとなります。

すごい...。
自分の心を探求する術が、オブジェを使った自画像であるというのは、幼少期から物作りをしていたマンダースと繋がってきます。

物で詩を書く

実をいうと私にはまだ、マンダースがどう書くこと言葉を使うことを重要視しているのか、理解しきれていません。

ただ、言葉以外のもので言葉を表そうとしている、というのはなんとなく分かるような気がしています。

それを感じ取った作品を5つご紹介します。

 (1)調査のための居住(建物としての自画像より最初の間取り図)  1986

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(...)言葉で自画像を描くのは適当でないという結論に達した。世界自体が、そこに埋め込まれた言葉の世界よりもはるかに複雑なのだった。言葉ではなく物で本を書き、架空の建物として現実の中に埋め込むことにした......物を使って自画像を書けば、まったく異なるやり方で読まれるだろう。物の鑑賞者ーーというより読者ーーは、自分自身の新たな考えを組み立て、その結果、作者と鑑賞者の間に吊り下がる自画像ができあがる。(公式図録より一部抜粋)

 (2)狐/鼠/ベルト 1992-1993

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「狐」「鼠」「ベルト」という単語を選び 組み合わせることでひとつのオブジェとなる (作家インタビュー動画より)

 (3)完了した文 2003-2020

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この『完了した文』という作品の左端にあるティーバッグ。これは『-(-/-/-/-/-) -(-/-/-/-/-)』という小品が発展したものになります。

...私はどうしても何かしら美しいことを言いたくなった。抗いがたい衝動に駆られた私はスーパーマーケットに行き、紅茶を10袋ほど買った。それから長い時間をかけてティーバッグの並べ方を考え、とうとう何かしら語ろうとするかのような配置に到達した。それは「言葉抜き」の言葉に似るが、なお感情がそこから語りかけてくる。これが5つのティーバッグに可能な最良の配置であると、私にはまったく疑問の余地なくわかる。...(公式図録より一部抜粋)

すてきだ...。

 (4)パースペクティブ・スタディ 2014-2016

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ある作品の構成要素として張り子を作るにあたり新聞を使おうと考えた。だが本物の新聞は”時”を伝えてしまうため、無作為に単語を羅列した新聞を自作。以来、虚構の新聞はマンダース作品を構成する重要な素材のひとつに。(...)新聞の文字を追いかけると分かるが、全く文章になっていない。(芸術新潮 第72巻 第4号より一部抜粋)

 (5)3羽の死んだ鳥と墜落する辞書のある小さな部屋 2005-2019

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この部屋は言語、そして言語と世界、さらに言語と私たちの心との関わりを明かすささやかな試み。
「墜落」と「辞書」の組み合わせた言葉のコラージュが、私家版《架空の新聞》(2005-2018)のコラージュに描いてある。(...)墜落する辞書を実際の暮らしの中で目にしたことのある人は、ほとんどいない。それは私たちの語彙から選んだ2つの言葉から成り立つイメージで、現実には時々しか一体にならない。(...)
「3羽の死んだ鳥」のイメージはそれより複雑で、何も塗っていないカンヴァス地でこしらえた柔らかい床の下に隠されている。床が柔らかいために、死んだ鳥のどれか1羽の上を歩いているのかいないのか、実際に感じとることはできない床は絵画として機能する。(...)死んだ鳥の上に立っているのかいないのかわからないことが、頭の中で問題となる。(公式図録より一部抜粋)


実際たしかに床は柔らかくて、一歩一歩に不思議な感触がありました。そして驚いたのは、実際に3羽の剥製の鳥が使われていたことです。

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とてもすてきな部屋でした。

でも、どうして「3羽の死んだ鳥」と「墜落する辞書」をいっしょにしたんだろう... 分からない...知りたい...分からない...だけどすてきだ...。

(この展示の特設解説ページがあったように思うのですが、どこかへ行ってしまった...悲しいです。もう一度落ち着いてちゃんと読みたいな...)

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マンダースの作品は、言葉ではなくオブジェで編まれた詩のように感じました。

まとめ

素晴らしい作品を作りたいと 本気で願っても うまくいきません そういう時は まず 平然と構えなければならない そして 憧れ求めるのです 憧れはとても大切です しかし強すぎてもいけない その中間がいいのです 一種の手品のようなもので 自分の心も騙す必要がある そうでなければ作品は作れません(作家インタビューより)

自分の心も騙す...それがどういうことなのかまだ私には分かりませんが、マンダースの作品を見ていると創作意欲が湧いてきます。

また、

(...)美術史には美しい隙間がところどころあります いろんなことがまだ可能だから アートにはとても楽観的です(作家インタビューより)

と発言されれおり、良い意味で力を抜いてアートを楽しもう、という気持ちになりました。

これからも、マーク・マンダースについて繰り返し読んで、少しずつ理解していきたいと思います。

おまけ

ピーター・ドイグ展のときも感じたことですが、大きい作品ってもう目の前にしているだけでちょっと楽しくなってしまいます...!

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以上です。


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