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虎に翼 第115話(原爆裁判 判決)

原爆裁判の判決が近づいています。

昭和38年11月 東京地裁

ナレーション>昭和38年秋。判事補の漆間が判決の草案を書き上げました。
汐見>残念ながら、原告に賠償請求する権利があると認めることは法的に不可能と言わざるをえません。
漆間>そうですね…。
寅子>はて? そうでしょうか? 請求棄却のひと言でこの裁判を、判決を終わらせてはいけない。 それは我々の総意では? 例えば最後にもう少しだけ書き加えるのはどうでしょう?

昭和38年12月7日 原爆裁判 判決公判

汐見>開廷します。判決主文を後に回し、先に判決理由の要旨を読み上げます。
ナレーション>この当時、民事裁判で主文を後回しにして理由を読み上げるのは異例の出来事(※)でした。

(※)裁判の判決で主文後回しと聞くと「死刑だ」という印象だが、今回の原爆裁判は、史実でも主文後回しにされたそうです。

午前10時開廷。古関裁判長は、判決の結論が書かれた主文を後回しにし、判決理由から読み始めた。

中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター ヒロシマの空白 未完の裁き<12> 判決

裁判長の古関は民事裁判では当時、異例であったが、判決の主文を後回しにして判決理由の要旨を読み上げた。

FRau 「息子にも語らなかった」『虎に翼』寅子のモデルが挑んだ「原爆裁判」の中身 

汐見>当時、広島市にはおよそ33万人の一般市民が 長崎市にはおよそ27万人の一般市民が住居を構えており、原子爆弾の投下が仮に軍事目標のみをその攻撃対象としていたとしても、その破壊力から無差別爆撃であることは明白であり、当時の国際法から見て違法な戦闘行為である。
汐見>では、損害を受けた個人が国際法上もしくは国内法上において損害賠償請求権を有するであろうか? 残念ながら個人に国際法上の主体性が認められず、その権利が存在するとする根拠はない。
(副音声:一斉に立ち上がる記者たち)
汐見>(語気を強めて)人類始まって以来の大規模かつ強力な破壊力を持つ原子爆弾の投下によって被害を受けた国民に対して、心から同情の念を抱かない者はないであろう。
(副音声:席に戻る記者たち)
汐見>戦争を廃止もしくは最小限に制限し、それによる惨禍を最小限にとどめることは人類共通の希望である。不幸にして戦争が発生した場合、被害を少なくし国民を保護する必要があることは言うまでもない。国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き傷害を負わせ不安な生活に追いこんだのである。原爆被害の甚大なことは一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策をとるべきことは多言を要しないであろう。しかしながらそれはもはや裁判所の職責ではなく、立法府である国会および行政府である内閣において果たさなければならない職責である。それでこそ訴訟当事者だけでなく原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって、そこに立法および立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長を遂げた我が国において国家財政上これが不可能であるとは到底考えられない。我々は本訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。

汐見>主文。原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。
汐見>閉廷します。

ナレーション>8年に及ぶ裁判は国側の勝訴で幕を閉じました。

判決文朗読の途中で一斉に席を立った記者たちを牽制するために語気を強めていく裁判長・汐見の矜持というか思いというかすごく伝わってきました。

判決をざっくりまとめると、原爆がもたらした甚大な被害に対し、国が救済策を講ずるのは当然。だが、それは立法と行政の役割であり、原告に対してのみならず原爆被害者全般に届く救済であるべき。高度成長したから国にお金はあるんだしできるよね?…でしょうか。終盤の数分間、ずっと法廷での主文朗読シーンでした。さすがにここはざっくりで終わらせるべきじゃないですし、よかったんじゃないでしょうか。

長きにわたった原爆裁判も終わり、ドラマもあと3週。このあと気になるのは、やはり赤ミサンガ団・みさえの存在か。みさえの疑問に対して答えを出すと約束して以降、もう何年もたつしそろそろ…。

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