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丸川知雄教授にまたディスられた話

数日前、フェースブックのタイムラインに突然、丸川知雄東大教授の投稿が出てきた。新聞の中国論調、及び寄稿を依頼してきた新聞協会の忖度姿勢を批判する内容だ(新聞協会寄稿の全文はここにアップロードされている)。

新聞の中国論調に対する批判については、私も共感する点があったが、投稿に載せられた寄稿の画像を斜め読みしていたら、私の名前が出てきた。

(「購買力平価換算のGDPでは、中国が米国を実質的に上回っていることが次第に信憑性を帯びてきた」としたうえで、)私は13年の著書の中で、26年中には中国が米ドル換算のGDPで米国を抜くと予測していたので、こうした展開は意外ではないが、中国経済の前途に悲観的な論調が支配的な日本のジャーナリズムにとっては意外なはずである。津上俊哉氏が中国経済の直面する様々な問題を指摘して、中国のGDPは、米国に追いつけないと論じ、多くの日本人が溜飲を下げていたまさにその年、世界銀行の計算では、中国が米国を抜いたのである。

教授の判定では、私は嫌中日本人に「溜飲を下げさせる」類いの論者らしい。これをみて、「またか」とウンザリした。

丸川教授からディスられるのは初めてではない。教授が2015年に出版した「超大国・中国の行方4  経済大国化の軋みとインパクト」という本の中で、私が2013年に出した本「中国台頭の終焉」「中国経済が崩壊すると論じる著作」と断じられてしまったのだ(丸川上掲書4頁)。
私の本は「中国高度成長の時代が終焉したことは疑いないが、幸か不幸か『官』が経済を強力に掌握しているので、急に『崩壊』する可能性は低い」とはっきり断ってあるにも関わらずである(上掲拙著241頁)。

購買力平価換算を持ち出すのは「後出し」でしょ?

丸川教授は「(津上が)中国のGDPは、米国に追いつけないと論じ、多くの日本人が溜飲を下げていたまさにその年、世界銀行の計算では、中国が米国を抜いた」という。

これは為替換算ではなく購買力平価レートを使って比較した場合の話だが、「その言い方はないだろう!?」と言いたい。「中国が米国を抜く/抜かない」の話は、常に為替換算が前提になってきた。現に丸川教授自身が上掲書の中で「中国は今後順調に成長を続ければ2020年代のうちにGDPでアメリカを追い抜き、世界一の経済超大国になるだろう」と為替換算の前提で予測している(上掲書1頁)。購買力平価ベースの話は、本のどこにも出てこない。

ちなみに、改めて世銀のデータベースを元に計算すると、中国がPPPベースで米国を抜いたのは、2013年ではなく2016年という結果になった(世銀もIMFも、発表済みの数字を後でよくいじる)。

このグラフには、為替レートと購買力平価レートの比率も表した。2013年、2016年ともに、この比は1.7。簡単に言えば、購買力平価ベースのGDPは為替換算ベースの1.7倍も大きく表示されるのだから、そのベースでなら「中国が早晩米国を抜く」ことは、当時から衆知の事実だったのだ。
ご自身も自著で為替換算前提の話をしていたのに、後になって「購買力平価ベースでは中国は既に米国を追い抜いていた」と、私をあげつらうのは野球のベースを動かして「今のはセーフだった」と言うようなものだ。

改めて2015年の丸川批判に反論する

丸川上掲書で受けた批判に対しては8年前ブログで6回にわたって反論した
私としてはこれで区切りを付けた気持ちだったが、上記投稿を見て、改めて「応戦意欲」が湧いてきた。だがよく見ると、上掲のフェースブック投稿の日付は2018年5月14日になっている。フェースブックの「過去のこの日」機能によって、今週のタイムラインに再掲されたのだろう。
5年前の投稿と知って、せっかく湧き上がった意欲が少し萎んだけど、乗りかかった船だ。ごく簡単に再反論しよう。

今回改めて丸川上掲書を読んで、いちばん問題を感じたのは次のくだりだ。

津上が指摘する短期と中期の問題については、それが成長にどれほどのマイナスの効果を与えるのかは測りがたい。なぜなら政府が今後どのような政策をとるかによってマイナスの大きさも変わってくるからである。
普通潜在成長率を算定する際には、政策の出方によって左右される要素は含めないので、津上が5%前後だとする主な根拠は少子高齢化にあるとみられる

丸川上掲書7頁

丸川教授は、こう断じた上で、

(仮に津上の予測の通り、生産年齢人口の減少が起きたとしても、それによる経済成長率の低下は極めて小さく)「人口だけを根拠に7%は無理だ。5%しか成長できない」と主張することには無理がある」

上掲書8頁

とさらに断じている。

この主張は二重の意味でおかしい。

第一は、「津上が5%前後だとする主な根拠は少子高齢化にあるとみられる」と勝手に決めつける点だ。実際には、私は

経済学では、(1)労働の投入、(2)資本の投入、及び(3)その他一切合切の成長促進要因を意味するTFP(全要素生産性)の向上という3要素で経済成長を数式化する考え方がある

上掲拙著26頁

とした上で、1990年代後半以来の中国経済の高成長が以下のような要素で支えられてきたとした。

1億人以上の内陸農民を沿海部の工場従業員に転換した、短期間に全国高速道路網を整備した、外資から資金だけでなく技術、経営管理ノウハウなども乾いたスポンジが水を吸うように吸収した・・・この20年間は成長要因が満載だったのだ。

その上で、しかし「以上のような成長要因の多くは、既にまたは今後ピークアウトすることが予想される、だから中国の高成長は過去のものとなりつつある」と論じた(上掲拙著26頁)。
成長要因の低下とは、たとえば大量の農村余剰労働力の活用のピークアウト、インフラ投資の経済効果の逓減、教育、企業管理レベルなども過去20年ほど劇的な改善は見込めない、といったことだ。

以上のとおり、私は成長低下の根拠を少子高齢化だけに絞った訳ではない。丸川教授はご自身の推計のうち、資本投入や全要素生産性については、過去の高成長トレンドが2030年まで続くという仮定を維持し、生産年齢人口の仮定だけを下方修正して推計し直してみせて「それによる経済成長率の低下は極めて小さい」と言う。そりゃ結果はそうなるだろうが、これで「津上説は誤りだ」と証明したことになるのだろうかw。

第二のおかしさは、丸川教授が「政府が今後どのような政策をとるかによってマイナスの大きさも変わってくる」ので「普通潜在成長率を算定する際には、政策の出方によって左右される要素は含めない」と言う一方で、ご自身の楽観的な成長予測を説明する段では、

  1. 資本の投入について「外国資本は規制が緩和されれば今まで以上に流入する可能性がある」ことを一つの理由として「投資資金はこれからも豊富に供給される」と仮定する(丸川上掲書11頁)。

  2. 全要素生産性については「1995ー2010年の期間の平均伸び率が今後もそのまま続く」とし、その根拠の一つとして「国有企業の改革、特に民営化の進展によって企業の効率向上が期待できること」を挙げている(上掲書13~14頁)

どちらも「普通潜在成長率を算定する際には含めない」「政策の出方によって左右される要素」そのものではないか。まったく首尾一貫していない。

ちなみに、「全要素生産性(Total Factor Productivity:TFP)は1995ー2010年の期間の平均伸び率が2030年までそのまま続く」という丸川教授の仮定は、正しかったのだろうか。ネット検索で比較的最近の中国の推計を当たってみたのが以下だ。

どの推計も2010年代に入ってから、丸川教授の仮定とは逆に、TFPが大きく落ち込んでいると推計しているのだ。

私は上掲拙著の中で「このままでは経済の生産性や付加価値の向上が望めない」と述べて(上掲拙著68頁)、この年(2013年)に本格始動した習近平新政権に対する期待を次のように縷々論じた。

  • 国家資本主義を再逆転(第4章 新政権の課題(1))

  • 成長の富を民に還元(第5章 新政権の課題(2))

  • 都市農村二元構造問題の解決(第7章 新政権の課題(3))

  • 人口政策の転換(第8章 少子高齢化(長期問題))

この年秋に発表された「三中全会改革案」は、もちろん100%ではないけど、以上のような改革内容をかなり盛り込んだ意欲的なもので、私は「自分の意見が中南海にまで届いた」ような気がして(そんな訳ないけどw)、心強く感じたものだ。

しかし、それから10年が経った。「三中全会改革が実現した」と唱える声は中国でも聞かれない。TFP推計が上記のとおり「ダダ下がり」ばかりなのはそのことを端的に示すものだ。

上掲拙著を読み返して、私が「読み誤った」と感じる部分があるとすれば、中国政府の財力、経済グリップ力がこれほど強くて、懐深いものだとは思わなかった点だ。もっと早く限界が来ると思っていたが、未だにもっている。
しかし、だからと言って、「中国のGDPが米国を抜く日は来ない」論を宗旨替えする気にはならない。これについては、改めてnoteする機会を持とう。

話を元に戻す。丸川教授にはいい加減にしてもらいたい。人の本をろくろく読まずに一方的な決めつけ、自己撞着だらけの論法で批判されるのは願い下げだ。加えて「中国経済崩壊論」だの「溜飲を下げた」だの印象操作まがいの言説を振りまくのは、「東京大学教授」のすることではないと思う。


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