祖母のこと
無駄に早く起きてしまったので朝活をしよう。
私の祖母の事をのんびりと考えていた。
ここで祖母とか言うのは性に合わないと気づいたのでおばあちゃんといつもの呼び方にしようと思う。
おばあちゃんの簡単なプロフィールを紹介しよう。
うちのおばあちゃん、御歳92歳。
元国体選手。
筋力、骨年齢、血液年齢、ともに70代。
さすがに最近歩けなくなってね、とか言ってるが十分歩いている。
なんなら私より歩いてるかもしれん。
職業は専業主婦。
一度も外に出て働いた事はないのだそうだ。
ただ主婦をなめてはいけない。
特にうちのおばあちゃんはとてもマメな人で、家事に一切手を抜かない人だ。
昔は男は働きに出て女は家庭を支える、が当たり前だった時代で、おじいちゃんが忙しくあまり何もしなかった中、ほぼ女手一つで2人の娘を育てあげ、立派に世に送り出した。
娘2人が嫁ぎ、おじいちゃんが亡くなり、それでも広い家でしっかり1人で暮らしている。もちろん今も。
とても穏やかで優しい性格で、基本的に人のことは全肯定してくれる人である。
おじいちゃんにキツい言葉を浴びせられても、黙って耐えて胃が痛くて眠れなかった。とか、
誰々が心配でなかなか寝付けなかった。
などのエピソードを聞いている限り、我慢強くて心配症で、何より周りの人を大切にしている。
「みんなに迷惑をかける訳にはいかないから、おばあちゃんがしっかりしていないといけないわね」
が口癖で、よく自分を大切にしないと周りの人を大切にできないとか言うが、おばあちゃんの場合は周りの人が大切だからこそ自分を大切にする、といった感じだ。言葉とは表裏一体だね。
だから、周りの人のことをただ優しく受け入れることができるのだと思う。
ここまで読んでくれた貴方は、こいつめちゃくちゃなおばあちゃんっ子だな?と思ったことでしょう。
大正解、その通りです。
わたしがここまで生きてこれたのは、正直8割くらいおばあちゃんが居てくれたおかげだ。
小さい頃から共働きの両親に代わって私を育ててくれた。
毎日とても美味しくて丁寧な料理を作ってくれて、わたしの我儘に付き合って一緒にお菓子を作ったりもした。
私が学校に行けなくなった時も、そっとお家に避難させてくれた。駅で動けなくなった私をわざわざ電車に乗って迎えにきてくれた。
しんどいね、と背中をさすってくれた。
半分くらい発狂した私を死んではだめよ、生きていれば必ず良いことがあると抱きしめてくれた。
病院に付き添って通ってくれた。
同性のパートナーがいることをすんなり受け止めてくれた。わたしを信じてくれていたからだと思う。
私が二十歳になった時、私の親友におばあちゃんはそっとこう溢したそうだ。
私が正直、二十歳まで生きているとは思わなかったと。
それだけ私が生きる1日1日をはらはらしながら、祈りながら過ごしていてくれたんだな、と私はその話を親友から聞いた時に泣きまくった。
親友はビビりまくったそうだが、おばあちゃんだって人なのだから、おばあちゃんのその言葉を受け止めてくれて本当に感謝している。
とはいえ、二十歳を越えても燻り続けていた私は、辛さに耐えきれずやっぱり何度も無茶をしておばあちゃんに迷惑をかけまくった。
本当に出来の悪い孫である。
そしてついに私が家を出て、少し遠く離れた今も。
おばあちゃんは毎日、私が、皆んなが、元気でありますようにと祈るのだそうだ。
離れている今だからこそ、よりおばあちゃんが居てくれるありがたさを感じる。
大雑把で怠け者の私だから、毎日を乗り切ることに精一杯だけれど、寝る前には皆んなの幸せを祈り、おばあちゃんのことをよく考える。
元気でいてね、と思うのはきっと私もおばあちゃんも同じで。
やっと最近になって、おばあちゃんに安心してもらえるように生きている、という恩返しができているような気がする。
後、何回会えるのだろうか。
次帰るときには、おばあちゃんが大好きな和三盆のお干菓子を持って帰ろう。
おばあちゃんの笑顔がみたい。
一緒に紅茶を飲んでだらだら喋りたい。
小さな幸せを積み重ねて私は生きる。
おばあちゃんが恥じないように私は生きる。
そんなことを言うと、おばあちゃんはきっと、ただ元気でいてくれるだけでいいのよ、と笑うのだけれど。
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