ノーマルアゲインとニューノーマル

新型コロナウイルスの蔓延によって仕事の仕方も日々の生活も、買い物の仕方さえ変化している中で#おうち時間の過ごし方が注目されている。私は妻とよく2人で色々なテーマについて語り合うのだが、やはり最近は新型コロナウイルス関連のテーマが増えている。初めて体験する出来事な上に状況が日々アップデートされていく中で変化に順応するべくお互い情報交換をしている。

先日、妻から岡村隆史氏のラジオ番組での発言が問題になっているらしいと聞いていつものようにそれについて調べながら2人で考えていた。SNSを見るとやはりフェミニズムに関わる人たちが盛んに意見を表明していて、それだけでなく岡村さんのテレビ番組降板を求める署名活動を始めたり、岡村さんを起用して「女性の貧困問題やフェミニズムについて学べる番組の制作・放送」を求める署名活動を始めたりもしていた。またその活動に対して「関係のない番組の降板を求めるのは過激ではないか」や「署名活動はどんどんするべき」と反応したり「謝罪はしたが岡村氏は問題の本質を理解できていない」などの意見を表明したりする人たちも続々と現れている。私達夫婦の間では「謝罪をして終わり、罰を与えて終わり、ではなくこの先に岡村氏がフェミニズムについて学んで前向きに変化した世界があることが大切なのではないか」という話になった。

さて、このように連日色々なところで話題に上がった岡村氏の件だが、新型コロナウイルスという人類共通の問題意識に関連した発言でなかったならここまで取り上げられていただろうか。岡村氏は同ラジオ番組やテレビ番組などで「女性恐怖症キャラ」「風俗キャラ」のような立ち位置で結構際どい発言を繰り返していたがその際にはここまでそれについて人々が考えるきっかけになることはなかったように思う。今、人々の関心や報道の内容などは新型コロナウイルス中心になっていて、その情報や関連する出来事を受信しようと個々人のアンテナがいつもより広い範囲に伸びている。その土台の上で発言されたことで岡村氏の発言の違和感はいつも以上に沢山の人々のアンテナに受信されたのではないだろうか。もちろん新型コロナウイルスの問題とフェミニズムの問題は別のテーマなのだが、今回の岡村氏の発言はフェミニズムのアンテナではなく新型コロナウイルスのアンテナに受信されることでフェミニズムが自分ごとの延長となり、流されずにここまで沢山の人たちがこの違和感と対峙することができたように思う。これまでその問題があることは知っていたがなんとなく流していたことを自分ごととして考えて、現状をいい方向へ変化させなければいけないのではないかと考える人が増えたのではないか。

アフターコロナのニューノーマルについても同じようなことが言える。テレワークやオンライン会議などはこれまでできるのはわかっているけれどなんだかんだ理由をつけて現状維持に留まっていたところでも、社会的にやらざるを得ない共通の課題になることで半ば強制的な自分ごととなり一気に実行されていっている。するとこれまで当たり前に行っていたことが無駄であったと気付かざるを得なくなり、これまで当たり前に行えていた経済活動も視点が変わることによって形態を変化させざるを得ない状況になるだろう。そして新型コロナウイルスが消滅しない限り人類はウイルスの対策をし続けることとなり日常生活にも当然変化が生じる。ニューノーマルだ。

しかしながらニュースやSNSや私の周りでも「いつになったら元の生活に戻れるのか」や「少し頑張ればこの困難は終わって元の生活に戻れるからそれまで力を合わせてがんばろう」、「変化しろということは潰れろということか」という話をよく耳にする。変化するということは以前の形態が通用しなくなってくるということなのでこれまでのようにはいかなくなるのだが、今回は特に変化せざるを得ない状況なのでそれを嘆いて元の生活に戻ることを願って立ち止まった分世の中の変化から取り残されて自分や家族の身を滅ぼしてしまうことになりかねない。それに、大きな変化が起こるのは多数の人々が共通の問題意識をもって動いている時だ。これを一時的なものとして捉えて変化のチャンスを逃すのはあまりにももったいないように思う。

変化は常に起こっていてそれに目を向けて順応していけるかどうかで自分の進化を止めるかどうかが決まる。変化に目を向けやすくなっている今は、20世紀的な考え方から脱却するチャンスであると私は考えている。残念ながら21世紀も5分の1を終えようとしているのに、まだ20世紀的な考え方、働き方のまま仕事をしている方々を見る機会は少なくない。「あの頃はこうじゃなかった」「自分はずっとこうしてきたのに」と「ノーマルアゲイン」を願うのではなく次のニューノーマルはどんな世界なんだろうと楽しみに生きられたら「老害」などという言葉は聞かなくて済むのかもしれない。

これを機に、「自分たちの生活や考え方は変化していくのが当たり前だ」と思い、何か新しい提案があったらそれを皆で検討して、やっぱりそうだとなれば取り入れてアップデートして、そうでないならば再検討すれば良いという考え方が少しでも定着していくといいのかなと思う。「当たり前なことなど何もない」と、今あることに感謝する気持ちを忘れるなという戒めの言葉があるが、これは同時に「今までの常識が変化しないといことはなく価値観も生活も変化していくものであることを忘れるな」という戒めでもあるなと思った。

我々夫婦はコミュニケーションをよくとっている方だとは思うが、#おうち時間で妻と語り合う時間が増えたことで気づくことも多かった。「今の生活が変化しないことはなく妻の価値観も変化していくもの」と思い、妻の日々の変化には敏感でありたいなと自分を戒める良い機会となった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?