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シリーズ「独善」2: 脱・恋愛

「男は女を好きになるもの」
「結婚して子供を残さなければ生きた意味がない」
「強いられた婚姻より恋愛を」

そんなストーリーを子供のころからたくさん、たくさん見聞きしてきたのではないでしょうか。

さて。「恋愛物語」は何のためにあるのでしょうか。

性教育でしょうか。お金を稼ぐ道具でしょうか。

正解は人の数だけありますが、つまり物語は、虚構のエンターテイメント、エンタメです。

人を楽しませるために(時には共感から哀しみを励起して)エンタメは存在します。

「正しい、効率のよい生き方」やめましょう。ていねいな生き方、やめましょう。もっと雑でいいんです。

数メートル先から飲料自販機の小銭投入口へ手裏剣よろしくコインを投げて、入ればコーラを買う。入らなきゃ、買うのをやめる。

そんな生き方を選んで、いいんです。

私は、よく交差点で運試しをします。信号が走らず、順調に渡れそうならまっすぐ進む。途中で赤になりそうで、走らなければ間に合わなさそうであれば、絶対に走らない。

約束の時間に遅れそうな時もそうです。おとなは、全力ダッシュして間に合わせたりしません。きちんと「遅れます」と連絡するのが、信頼を得る秘訣です。遅れるときは、遅れるのです。

閑話休題。

人が人を好きになると、誰が決めたのでしょうか。人でなければならないのでしょうか。

私は、人間の異性よりも、楽器を愛しています。

楽器は、老いず、怒らず、泣かず、文句を言わず、そして何より私の命を体を助けてくれました。物理的に。本当です。

軽トラに自転車で突っ込んで空を飛んだ私が無事だったのは、Legendのジャズベースコピーモデルのおかげです。楽器の恩返しです。あるんですよ、こんな事が。

高校一年生の頃から。友達に貸してもらったエレキ、音楽室据え付けのクラギで私のギターとの付き合いは始まりました。

辛いときも、哀しい時も、嬉しいときも。いつも、いつもギターアンプとエレキギターがそこには居ました。そうです。私の彼女は、エレキギターなのです。

自分の両手と両足、そして心臓があれば、ギターを弾ける。だから、他人が何を言おうが生きてゆける。

他人に恋していたずらに傷つく必要なんて、もう無いんです。私の場合はね。

だから、「そのひとの恋のかたち」は、そのひとによって異なるのです。

自己完結できない人もいます。他人にぶら下がっていつも手をつないでいないと死んでしまう人達も、大勢います。ミュージシャンの追っかけとか。彼らは本当に死んでしまいました。でも、それで満足だったのでしょう。

「自分は本当に異性が好きなのか」「自分は、異性から好かれることで『生きよう、楽しい』と本当に思えるのか」

胸に手を当てて考えてみましょう。恋愛で痛い目を見ている人ほど、このズレが致命的になっていきます。

目標を修正しているつもりなのに、人間の異性を愛することに向いていないことに気付けない。そんな半生でした。

では、よい恋愛を。あなたに恋の神様の祝福がありますように。

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