印刷営業心得②

前回の印刷営業心得はこちら↓です。

お客様との付き合い方

我々営業は、人(お客様)を相手に商売をしています。すべての業種の営業に共通することです。当たり前のこと、何を今更と思われる方が殆どだと想います。どちらかというと不特定多数の人ではなく、決められた相手の方と商売するのが我々印刷業の営業でした。もちろん同じビジネススタイルの職業があることも充分承知しています。敢えて過去形で営業でしたと書いてみました。現在では印刷業界も大きく変化し、昔のように印刷物を発注してくれる担当者だけを相手に営業していたのではあらゆるところで遅れを取ってしまいます。

昨今言われている“強いものが生き残るのではなく、変化に対応したものが生き残る”時代の営業を目指さなければならず、人ばかり相手にしていたのではいけません。変化とは新しい技術やサービスに対応していくことです。御用聞き営業から提案型営業への変化が求められています。変化に対応する営業や提案型営業をすると、それに合わせて比例するお客様側の人数も増えてきます。今も昔も大手広告代理店はそれぞれの分野の専門家とチームを組んで団体戦(組織戦)でクライアントに挑んでいます。我々は個人戦型の作戦で攻略しようとしていました。今の時代、もうそんなスタイルでは無理です。いくら人が相手といえ、得意技の泣き落とし作戦は通用しなくなりました。営業は人が相手の職業なんて思い込んでいる私は古臭いと言われても仕方がないと思います。

と書きましたが、営業とは、お客様と真摯に向き合い、仕事を通して長く付き合っていくことが基本であることは変わらないと思っています。上司や先輩諸氏、営業教育セミナーの講師の方からは、相手が一人であれ、たくさんの人であれ、先ずは誠心誠意でぶつかれと言われてきました。少し時代がかっていますが、その通りだと思っています。そのように努力もしてきたつもりです。しかし、それ以上に大事なことがあるとKさんに教えられました。今でもその教えを忠実にと思ってはいるのですが、残念ながら実行出来ていません。今の私を見ていただければ、即、納得していただけると思います。こんな歳になってもまだ半人前です。Kさんの教えについては追々書いていきたいと思っています。

画像2

営業は仕切り屋稼業

私が営業としてデビューした頃はとにかく、強い営業になれ、賢い営業になれ、そして人に優しい営業になれと指導されました。そして、何事においても仕切れる人間になれと言われました。リーダーシップが取れる人間になれということかと理解しました。これはお客様だけでなく、協力会社など外部の人、忘れてならない自社の現場の人達に対して仕事上は言うに及ばず、仕事以外でも自分がその場を仕切れるようになりなさいということです。自分から進んで嫌われ役になる人、嫌われてもいいよと言う人もいます。人が納得して自分について来てくれることが理想だと思っています。今までに数えるほどしかそのようなことはありませんでした。誰かを犠牲にしたり、傷つけたりしながら営業してきました。仕切るとかリーダーシップをとることほど難しいことは他にはなかったです。それが出来ていたらもっと多くのお客様から信頼され、多種多様な仕事もいただけたのではないでしょうか。営業は独善的な考え方をしてはいけない、独断専行もダメだと言われました。人を仕切ることほど難しく、未だに苦労しています。だけど、営業の仕事は楽しいし、面白いし、やりがいがあります。

印刷は一品一品がオーダーメイド商品です。新しい案件があるたびにお客様担当者は同じでも企画する人、撮影するカメラマン、コピーライター、デザイナー、イラストレーター、製版部の人達、印刷機も違えばオペレーターも違う、加工仕様も違うから加工機オペレーターなど本当に多くの人と組んで印刷物を仕上げてきました。しかも、印刷業は全業種のお客様を相手にする商売です。50年間営業をして来た私はいったいどのくらい多くの人と仕事をしてきたのでしょうか。強烈な印象を残してくれた人、仕事を教えていただいた人、何度チームを組んで仕事をした人、私のような若輩者では近寄れないであろう、業界では大先生と呼ばれている人とも仕事をさせていただけました。制作部門では一回限りの人も数多くいらっしゃいました。製造現場では何度もお世話になった方も数多くいます。数えきれないくらいの人たちと組めたことが私にとって財産となっています。大きな財産を提供していただいた方々、基礎になるようなことを一緒に苦労して学んだ人達、本当にありがとうございました。そんな人たちと仕事を完成させるために、チームを結成?し、監督ではない仕切り屋を演じられたのが営業であり、苦労はあったのですが楽しい仕事でした。お客様以下、どの分野においても陰に陽に支えていただける方々の存在があればこそ、もちろん自分一人で出来たなんては思ってもいません。今の営業さんには我々のような仕事の進め方、管理の仕方がないのかもしれません。

こんな書き方をすると申し訳ないのですが、営業の人にお聞きしたいのが、楽しいことは何ですか?今までにどのくらいの人たちと関わりを持って仕事をされて来ましたか。我々のような仕事の進め方は今の働き方改革にはそぐわないでしょうね。

話は逸れますが良かったところは、これだけ多くの人を動かすわけですから儲けもそれなりに取れということです。それぞれの人が自分の持ち場で仕事をするのですから、各人が各工程で利益を稼いでくれました。人数が多く工程も多いと、お客様には申し訳ないのですがごまかしもしやすいし、大抵のお客様は面倒がって細かいことは言われません。アナログもこんな時だけは味方してくれました。そして印刷に関する各工程の知識を広く浅く勉強して覚えたのもこの頃です。

どこかでまた書こうと思いますが、異業種で階層も社長から一般職まで本当に多くの人と接してきました。世の中にこれだけ多様な人がいるものだと感心し、それぞれの人に合わせた接し方、即ち付き合い方を学びました。私が幅広い人脈を持っているとか、人付き合いに慣れているとか言われることがありますが、印刷業界に入り営業をさせてもらったからだと感謝しています。

営業とサラリーマンの宿命

営業の話から外れて申し訳ないのですが、おそらく皆さんも同じだと思いますが上司から出世しろとはひとことも言われたことがありません。出世は後からついてくるものだと当時は教えられていました。出世という言葉の響きは好きになれません。競争だとか蹴落とすなどに連想が行ってしまうからだと思います。中間管理職までは自分が努力した結果と同僚や部下の助けがあって押し上げてもらい、そこでやっと課長クラス、さらにその上に昇格するには上司や同僚のサポートがあってこそ、そこでようやく上の人が引き上げてくれる、それが当時、私が言われた一般の出世論でした。「並大抵のことやないで」のひと言で片付けられました。但し、前職の会社では数年勤めただけで、実力もないのに課長、これは縁故故の職制でした。先輩や同僚に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

現在の会社に転職して最初に感じたのは、前職では自信満々の営業でしたが、京都本社には凄腕の営業部長や実績豊富な部長、そしてその下には私と年齢も変わらない実力のある営業の人が多くいらっしゃいました。恥ずかしい話ですが、初めて京都本社へ出張した時、即、思いました、「この会社では管理職にはなれないだろう」、会社の就業規則にある定年まで無事に勤めればよしとしようと思いました。信じてもらえないかもしれませんが、無欲の転職者でした。プロパー全盛?の会社に入社したのだから仕方がないと納得しました。幸いなことに給料も悪くなく、しかも本社と離れた営業所勤務の採用でしたので、ある意味、気楽ではないかと自分を納得させたものです。

「華」があれば全てよし

結果を数字で示せる営業は、出世とは別に先輩や同僚に追いつくことが出来ます。肩書は追いつけなくとも数字では追いつくことが出来ます。振り返ったら背中に中嶋の足音が聞こえるくらいまで数字で追いつこうとしたものです。出自不明?の転職営業が新しい会社で存在感を発揮するまでは二度目の転職はしないでおこうと決めました。営業はありがたい職業です。結果・成果が数値で出て来ます。勤務態度が良くない、人間性に問題があると言われる人でも営業として成功する事例はありますが、多くの人をまとめ、動かさなければならない営業になるには人間力が必要ではないでしょうか。人として尊敬され、そして競合から恐れられる営業を目指したのですが、残念ながら何かひとつ欠けていたのか、そうはなれませんでした。しかし今でもその気持ちに変わりはありません。

この人と仕事をしたら楽しいだろう、面白いだろうと思わせることが出来る人こそ営業の素養を持ち合わせている人です。業界の営業さん、腹を立てないでください、「印刷営業なんてそろばんか電卓が使えれば出来る」などと言われたものです。これは私にだけですかね。その代わり、営業には人として「華」がないとダメだと言われました。一目見た時、「こいつは華がある」と見られた人は異業種から来ようが、新卒であろうが必ずものになるとわかるそうです。私の部下にもいましたね、彼には申し訳ないですが、どちらかというと賢者?の部類には入らないが、人に好かれるし、見かけ上でも「華」が感じられるのです。お客様から可愛がられ、評判も良かった部下でした。退職しましたが、私好みの営業でした。私に「華」を持ち合わせていません。泥臭い、あきらめの悪い、粘りだけが取り柄の営業でした。


画像1

しつこさと大海知らずの私

「お前は本当に粘るな、相手が折れるまで諦めんよな、諦めの悪い人間だよ」が私の原点です。それしか能がないと思っています。

とにかく入社した以上負けていられません。すごすごと京都には戻れません。超スケールが小さい私「井の中の蛙大海を知らず」から再スタートです。自社だけで驚いている訳にはいきません。世間の広さ・深さを思い知らされました。ここで本筋に戻りますが、凄い人だと言われる人が世の中には数多くいらっしゃるものです。分かっていたつもりでも実際の現場に出くわすと、腰が引けたり、自信をなくしたりされる人は多くいると思います。その中の一人だった私が未だに東京で働けているのが自分でも不思議に思えます。時には多くの人を動かさなければならない場面に出会います。「その時、お前の言うこと聞いてくれるか、お前の指示を受けてくれるか。それも全員だよ」とても自信なんてあるはずがありません。当たって砕けろ、の精神では無責任過ぎます。無責任とののしられようが、とにかく皆さんに頭を下げまくりました。情けなかったですが、お願いするしか能がなかった若造時代でした。

研修と私

しかし不思議なもので、経験を重ねるうちに妙な自信が芽生えるものです。いっぱしの営業マンの顔になってくるものです。そうすると今度はお客様もスタッフも私の言うことを聞いてくれるのです。内心ではビクビク、不安だらけの私ですが、態度だけはその仕事を仕切るリーダーになりきっているのです。偉そうにしていたのでしょうね、30歳前後の私は。

ここで学んだことは、必要な知識を持つことはもちろんですが、人をごまかそうとか場当たり的な指示や所作で人を動かそうとすると人はついて来てくれないことです。

精神論だけの営業のように見受けられると思いますが、ネットで検索すれば欲しい知識や情報がリアルタイムで得られる時代とは違い、アナログチックな方法で知識や情報を吸収してきました。今でも知識欲旺盛な人はネットのみならず書籍等を読み漁る努力をしています。私もそこまで行きませんが、置いてけぼりされないように自分なりに努力はしてきたつもりです。土山印刷に入社したことで、勉強する機会を本当に多く与えてもらいました。

印刷関連、経済・経営問題、社会・生活関連、国際問題、教育関連、スポーツ関連、教育関連等日本を代表するような経営者、実際に教鞭をとられている現役の教授、売れっ子と呼ばれている評論家諸氏、スポーツアスリートやOBの方々などの皆さんの興味あふれる講演や同業界で成功された企業からの成功例を数多く聞くことが出来ました。土山社長には理解力と実践に活かすことでは負けていますが、回数だけでは負けていないはずです。幸せな環境を与えてもらった会社です。後輩たちが跡を継いでくれています。いい会社です。

紹介させていただきたい話がひとつあります。インターネットが世の中でまだよく知られていない時、社長はすでにインターネット時代が到来することを予想されていました。まったく訳の分からない、単語すら理解出来ない私に土山印刷第1号としてITセミナー参加を命じられました。当時でも既に年配者の部類に入っており、会場に入った時、あまりにも参加者が若いことに驚き、彼らが身振り手振りで会話をしているのを見た時、思わず身をひいてしまったことを思い出します。半年がかりのセミナーで最後まで理解出来ず仕舞いでしたが、おかげさまで社内ではIT人間の評価?でしばらくは通すことが出来ました。

さて、毎号まとまりのない話を長々と書きましたが、それをお読みいただき本当にありがとうございます。

面白くもなく、参考にならないことばかりですが、あと数回続けようと思っています。
次号は、中嶋流お客様との関係の築き方ABCを書こうと思っています。バカみたいな話になると思います。

これからもよろしくお願い申し上げます。

                  土山印刷株式会社 顧問 中嶋恒雄

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?