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インタビュー調査<平野有益氏>

 平野有益氏は1950年に熊本市に生まれ、済々黌高校を卒業。熊本大学法文学部に入学し、世界共通言語であるエスペラントの普及活動に熱中した。政治に関心があり、またダイナミックな仕事ができると考え、1974年熊本日日新聞社に入社する。
 初任地は八代支社。記者二人で悪戦苦闘して取材し、写真も撮り、記事も書いた。次いで本社政経部で県政を担当。1983年に東京支社に異動。熊本県知事選挙の自民党公認争いで東京の動きをリポートしながら長期連載も行った。その後熊本へ戻り農政を担当、農家の借金問題と、経営再建していく姿を「突っ込んで人間を書く」姿勢のもと深く取材し、連載「農家破産」(1988年)は読者の大きな反響を呼んだ。整理部デスクを経て1995年事業部次長となり、夏目漱石を記念する大規模イベント「漱石博」の企画運営を行う。1997年編集委員を経て論説委員となり、久しぶりに編集現場へ戻り農村取材を再開。農村社会学者の徳永貞雄氏との出会いもあり、連載「文学部の農学者」を手がけ、農業の効率化ばかりに視点を当てる大手紙に反発し、地元視点で「田舎から見える日本」を記事にするよう心がけた。2009年には編集局長となり、地元紙は地域密着、県民とともに歩む新聞として、「人情味ある」温かい紙面を目指した。
 2011年に新聞博物館長に就任、東日本大震災や熊本地震など、災害報道の企画を多く行った。同年テレビ熊本の解説委員も務め、新聞、テレビ、そしてインターネットとメディアが多様化する中、各メディアそれぞれの本分を活かせば良いとした上で、新聞は「発見のメディア」であり、不得意な分野にも視野を広げることの重要性を指摘した。また平野氏は繰り返し「人に会い、汗をかく」ことが大事だと述べ、「人に会うことで人間との触れ合いがあり、人生の深みも増す」と語った。