インタビュー調査<西垣勇八氏>

 西垣勇八氏は1948年に岐阜県で生まれる。一浪し、早稲田大学に入学。ロシア語研究会に参加する一方で、映画館でバイトしその伝手で在学中に芸文社に入り正社員として三年間働いた。最初に配属されたのは漫画雑誌で「漫画家の家にいて原稿を書くまで見張る仕事」が最初だった。大学は七年在籍し、中退。
 その後はフリーランスとして雑誌創刊や、雑誌原稿の仕事を行う。その中で『Fine』の創刊に携わり、土日も三時間しか寝られない生活が三年間続いたという。
 1980年には株式会社キャンディッドを残間里江子氏と立ち上げ、雑誌・芸能・PRと幅広く仕事を受け持つ。山口百恵『蒼い時』を世に出し、平凡社から雑誌『Free』の創刊に携わる。この頃は雑誌作りの上で、「先割」というレイアウトの手法、L判の普及、雑誌付録の企画、タイポグラフィーの変化があり、雑誌が大きく変貌する時代、「雑誌を作る人たちの熱気が非常にある時でした」。
 1986年には井之上パブリックリレーションズに移籍し、PRの仕事に関わり続ける。国ともダイレクトにやりとりできる仕事に「ダイナミックさがあって面白かった」と語る。
 今後の雑誌の展望についてはデジタル化せざるを得ないが、「捨てる雑誌じゃなくて残す雑誌になっていくしかないんじゃないか」と語った。

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インタビュー担当者:山田敦紀(主担当)、喜羽さき(副担当)