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インタビュー調査<朝比奈豊氏>

 朝比奈豊氏は1947年に静岡県に生まれる。小学校時代から新聞づくりに興味を持ち、仲間を集めて『ゴールデン・タイムス』というガリ版刷りの新聞を創刊し、社長に推された。「高校、大学とずっと進路に迷っていたんだけど(略)新聞記者になろうと自分で決めたのは、最終的にこの小学校の時の経験があったからですね」と語る。県立掛川西高校を経て、1966年に東京大学理科二類に進学。三年次に農学部農業経済学科に転じたが、東大闘争の只中で、政治活動の行き過ぎに疑問を感じ、農村調査などに力を入れた。身近な学生運動を責任ある姿勢で報道していた『毎日新聞』に共感し、1971年7月、毎日新聞社に入社する。
 最初は甲府支局に配属され、警察とスポーツの担当を四年間務め、独自の調査で特ダネを掴む取材法を学ぶ。1975年に東京本社学芸部に配属され、スモン薬害の調査報道を一人で行う。その取材の中で、社会の構造的な問題を論じるには、「ジャーナリズムは声の小さな弱い立場の人達からの視点」が欠かせないこと、そして日本にも欧米のような情報公開制度が必要だということを実感した。
 1977年に社会部に異動し、警視庁や厚生省担当を担当し、また遊軍で活動。大学入試不正事件や福岡刑務所銃密造事件など調査報道に力を入れる。1987年宮内庁担当となり、昭和天皇の病状を取材する。1989年警視庁担当キャップとなり、1991年に社会部デスクに就任。「情報デモクラシー」などの連載キャンペーンを手掛けるとともに、容疑者呼称を他社に先駆けて導入するなどの報道改革を推進。その後浦和支局長を経て、1996年に社会部長に就任。当時のマスコミへの批判の高まりのなかで、署名記事の多用化を進め、新聞界で初めての第三者機関となった「開かれた新聞」委員会の設立など先進的な取り組みを行う。編集局長、社長室長、主筆を経て2008年に社長に就任。「毎日ジャーナリズム」を唱えた。
 新聞人として、編集局と経営者の両サイドを経験し、共同通信再加盟や関連企業の再編とグループ経営を進め、持ち株会社の毎日新聞グループホールディングスを設立した。これからのメディアについては、「ジャーナリズムの役割を果たし、(デジタル)技術の発展を生かして、個人の尊厳をより大切にする、風通しの良い社会、『デジタル民主主義』の世の中をつくることに貢献して欲しい」と語る。