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インタビュー調査<高尾義彦氏>

 1945年徳島県生まれの高尾義彦氏は、1966年に東京大学文学部仏文学科に進学。在学中に『毎日デイリーニューズ』のアルバイトをする。四年生の時に東大紛争が起き、6月に大学を卒業。「何かものを書く仕事がしたい」という思いから、親近感のあった毎日新聞社に1969年7月に入社する。
 最初は静岡支局に配属され、新聞記事の原稿の書き方や写真の撮り方を身につけた。また、金嬉老事件で裁判の取材をした。1973年に東京本社の社会部配属となる。西支局でのゴミ戦争の取材、上野でのサツ回り、府中通信部を経た後、1975年に司法記者クラブに異動となり、検察庁を担当した。ロッキード事件捜査が始まると、当時の司法記者クラブの中で最年少ながら、主任検事を任された。「自分の実力もそこで鍛えられたのが一番大きい」と語る。田中角栄出頭時の写真を撮ったり、裁判所での取材を一審の判決まで追いかけた。その後は社会部遊軍として原水爆禁止・平和運動などを担当し、ニューヨークで反核デモ行進も取材した。1980年代は司法記者クラブのキャップや社会部八王子・立川支局長などを歴任。1989年から就任した司法担当デスク時代に、弁護士の中坊公平氏と出会う。中坊氏が司法改革に奔走した様子を描いた『強きをくじき 司法改革への道』(1992年)をはじめ三冊の本を出版し、後の住専の不良債権回収や香川県・豊島の産業廃棄物処理問題の取材も行った。
 2011年に『毎日新聞』退社後、日本新聞インキ株式会社の社長に就任。2017年6月に退任してからも、自費で『無償の愛をつぶやくⅠⅡⅢ』(2014,2017,2020年)を出版するなど、精力的に執筆活動を続けている。最後に、「新聞の原点は、権力をきちんと監視し批判するところにあり、そこに価値を見出す方向をきちんと持って取材、報道に臨んでほしい」と現在の新聞に対し注文を付けた。