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インタビュー調査<飯島裕一氏>

 1948年、長野県生まれの飯島裕一氏は、昆虫採集に夢中だった幼少期を過ごし、北の大地への憧れから1966年に北海道大学に入学する。海に強い関心を持ち、魚類生態学を専攻した。「ものを書きたい、表現して伝えたい」との思いからマスコミを目指したが道のりは険しく、一旦、社団法人大日本水産会に就職するが、諦めきれず再度チャレンジして、1971年12月から信濃毎日新聞社で働き始めた。
 最初は報道部に配属され、サツ回りを担当。出社三ヶ月弱で「あさま山荘事件」が起き、防弾チョッキを着て取材。ここでの経験は、「手早く記事を書く、きっちり裏を取るという訓練になった」と語る。その後、佐久支社で取り組んだごみ焼却炉建設反対闘争の取材では、建設を進める側と反対する側の〝板挟みに〟にもなったが、「自分の立ち位置をしっかり持つことが大切」で、「『自分はこう思う』という姿勢がないとジャーナリストではない」と言う。
 1975年から十年間を整理部で過ごした後、文化部に異動。1986年の正月特集「バイオ」に携わったことなどから科学担当に。また、映画「花いちもんめ」を観て認知症への関心が高まり、「老化を探る」という企画を立ち上げて自らの足で全国に取材する。
 1987年に『老化を探る』、1989年には『エネルギー複合時代がやってくる』を出版。整理部時代と比較して自分の目で確かめ書ける喜びを味わった。1994年からは編集委員として「温泉の医学」など、多くの長期連載に取り組む。1999年に「介護のあした」、2010年に「笑顔のままで―認知症・長寿社会」のチーム取材で新聞協会賞を受賞。2018年から特別編集委員となり、2023年1月からスタート予定の企画についても語った。
 「地域住民の視点でものを書けることが、地方紙の強み」と言い、「世界の話題も全国の話題も足元へ、逆に足元の話題も全国や世界」に打って出る思いが大事だと強調。さらに、「ジャーナリストは一人ひとりが個性を持った個人商店」であり、「志と情熱」が大切だと語った。