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インタビュー調査<岩田伊津樹氏>

 岩田伊津樹氏は1952年に神奈川県藤沢市に生まれ、湘南高校を経て1972年に早稲田大学商学部に入学。高校三年生の時に、人種差別などについて書かれた本多勝一の『アメリカ合州国』を読んで衝撃を受けたという。それまで抱いていたアメリカへの憧れを覆され、「一人の人間の価値観をガラッと変えるような職業は凄い」との思いから、新聞記者を志すようになる。
 1977年に大学を卒業し、読売新聞社に入社。最初に配属された福島支局で五年間勤めた後、1982年に東京本社社会部に配属となる。サツ回りでは警視庁第二方面、1983年からは警視庁の捜査二、四課担当となる。1986年からは社会部遊軍となり、保険金殺人事件でマニラへ特派され、そこから書いた事件の初報記事がきっかけで犯人が出頭し、事件解決となった。
 1989年には、連載「地球環境をまもる」で北極圏取材を敢行する。1991年に環境庁の担当となってからは、以前からの関心であった環境問題を主に取材した。1991年から1992年にかけて気候変動枠組条約交渉、1992年、リオデジャネイロの地球サミットを取材、その後ロサンゼルス支局長となった。1996年にはペルー大使公邸占拠事件を東京で担当。1997年に社会部デスクに就任。9.11同時多発テロでは、ニューヨーク統括デスクとして活躍。2002年には解説部次長となり、2010年3月に読売新聞東京本社を退職。
 2006年からカリフォルニア大学バークレー校、上智大学新聞学科、東海大学チャレンジセンターで教鞭を取るなど、ジャーナリズム教育にも力を注いでいる。現在の新聞記者に対しては、「なぜこの新聞記者という仕事をしているのか、新聞記者として日々原稿を書いて、読者や社会に訴えるのは何のためにやっているのか」という自覚を持って欲しいと締め括った。