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インタビュー調査<高峰武氏>

 高峰武氏は1952年に熊本県玉名市で生まれる。伝統ある済々黌高校で新聞部に入り、恩師と出会う。大江健三郎の作品にはまり、早稲田大学仏文科に入学。
 就職に際し、『主婦の友』などマスコミを受けたが、兄の一声を受けて1976年に熊本日日新聞社に入社。新入社員代表で挨拶した。最初に配属された校閲部では先輩の記事を読んで学んだ。1977年に社会部へ異動。県警と協力する中で特ダネ記者となる難しさを感じる一方、交通事故の検証記事で社会面のアタマを飾り、記者としての在り方を見つける。1981年に南関支局長となり、三つの町に密着した話題を書く中で地方の面白さと大事さを知った。本社社会部に戻り、1983年の免田氏無罪判決の時には、半年間で182回の連載で検証し、長く取り組むことになった。同じ頃から川辺川ダム問題にチームを組んで取材を始め、後の2000年からの「考・川辺川ダム」の連載に繋がる。1991年から東京支社に異動し、政局のキーマンに連続インタビューを行う中で地方紙の連携にも取り組み始めた。1999年からは社会部長へ異動。地方紙記者として「忘れない、逃げない」ことを心に刻み、「検証ハンセン病史」を連載、2003年度の新聞協会賞を受賞。また、憲法の外にいた人達から見た日本の戦後社会の問題点を伝えようと試みた。
 2005年に編集局長となり、地域の中で顔の見える新聞・記者を実現すべく署名化を始めた。2014年に常務取締役、2015年論説主幹となり、その後も免田事件と水俣病について書き続けている。『熊日』を「ローカル紙と思ったことはない」と高峰氏は言い、地方紙の役割は「深さを極めるということで普遍にぶつかるということ」だと論じた。