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インタビュー調査<飯室勝彦氏>

 飯室勝彦氏は1941年に山梨県で生まれる。高校時代に聞いた宮沢俊義の講演に感銘を受け、立教大学法学部へ入学。在学中は経済学部のゼミで農村調査に打ち込んだ。就職活動時に、偶然大学で行われていた中日新聞社の採用試験を受験。農村調査の経験から「ものを書くということもいいかもしれない」と1964年に入社した。
 入社後は、『東京中日スポーツ』運動部へ配属。プロ野球取材を担当し、スコアブックの付け方などを一から学んだ。1966年1月からは『東京新聞』社会部に所属。サツ回りでは九つの警察署を三年間担当し、町の小さな話題から危険を伴う学生運動まで幅広い取材を行った。その後は司法記者として裁判を担当する。「正義が実現するとか、弱者を救うとかいうことが裁判の場合ではある程度できる」と、裁判取材の醍醐味を感じた。1974年8月に名古屋本社の社会部へ異動。名古屋市民にとっての『中日新聞』の存在感から、新聞と読者の距離の近さを実感する。
 1981年に東京本社の特別報道部を経験した後、1984年3月から社会部デスクを務める。長沼判決や水俣病判決など、取材拠点がない地域にも自ら足を運び取材を行った。1988年8月からは編集委員で司法問題を扱う。多くの再審裁判を目の当たりにし、死刑問題に対してより一層疑問を抱くようになる。死刑廃止運動の活動への協力や、参議院法務委員会で司法改革の必要性を訴える演説も行った。その後『青年はなぜ逮捕されたか』(1990年)をはじめとした事件報道における問題点を提起する著書を多数刊行。当時大きく扱われていなかった報道と人権について先駆けて訴えた。1992年に論説委員、2000年には論説副主幹も経験。2003年に中日新聞社を退社した。
 新聞は「国民のために情報を伝達」することが原点であると、現在の生き残ることだけを考えた紙面の内容を批判。情報量が多い新聞こそ優れた新聞であると述べ、「特ダネで勝負しなきゃ駄目」だと今後の新聞報道の在り方を訴えた。