インタビュー調査<元木昌彦氏>

 1945年東京生まれの元木昌彦氏は杉並高校の時、結核で二年間休学。早稲田大学入学後、三年間バーテンダーを経験。60、70年代の安保闘争に触れるも、大きな影響は受けなかったという。父親の薦めで『読売新聞』の選考を受けたが、「雑誌が面白い時代」だったこともあり、講談社に入社。
 入社後は『月刊現代』に配属。最初の仕事はよど号ハイジャック事件の機長の手記を取ってくることだった。その後、『週刊現代』、『婦人倶楽部』を経て、1990年から『FRYDAY』編集長、1992~1997年に『週刊現代』の編集長となる。「雑誌作りの面白さは編集長になることだし、なればやろうと思うことができる」、雑誌の役割については「新聞・テレビができないことをやるというのが週刊誌の基本」で、新聞やテレビをチェックし、スキャンダルを含めてタブーを作らない多様な言論の自由を担保するのが出版ジャーナリズムだと語る。「雑誌というのはどこまで踏み込むか、そのギリギリの所で常にやってる。俺の持論だけど、プライバシーとか人権について一番考えてんのは写真週刊誌」と語る。雑誌編集者に必要な力は「企画をどう考えるか」であり、一人一人が突き詰めて何が面白いかを考えることが大事だとする。
 1999年には、オリジナルのウェブ週刊誌『Web現代』を創刊し、雑誌のデジタル化に挑戦。動画配信をやりたかったが時期尚早だったと語る。「週刊誌という媒体をなくして良いのか」という問いと向き合い、『PRESIDENT Online』等、現在も様々なメディアで発信を続けている。

元木昌彦 写真

インタビュー担当者:山田敦紀(主担当)、渋谷日向里(副担当)