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インタビュー調査<長典俊氏>

 1960年名古屋生まれの長典俊氏は、静岡大学在学中にメディアの仕事を志す。偶然友人から知らされた地方記者限定の制度で1984年『朝日新聞』へ入社する。
 初任地の福島支局でサツ回りなど新人の訓練を経る。中でも記者としての土台形成に大きな影響を及ぼした一つ目の事件は、1985年に応援に駆り出された日航ジャンボ機墜落事故の遺体安置所での取材である。「人権というものを尊重しつつも書かなきゃいけないという記者が一生背負っていくもの」を入社二年目に経験した。二つ目は、横浜支局で1988年に携わったリクルート事件の調査報道である。警察の捜査では潰れた事件を山本博デスクが取り上げ、市民の目線で権力を監視するというジャーナリズムの役割を果たし、政治を大きく動かしたこの調査報道でメディアの力を実感する。
 1990年から2002年までは名古屋本社社会部と東京本社社会部を一、二年ごとに行き来する。1995年のオウム真理教事件では、加害者側の人権が蔑ろにされる風潮に問題意識を持ちながら検察を取材。2004年には、人権と報道のバランスについて、『事件の取材と報道二〇〇四』を作成した。2010年に横浜総局長、2012年東京本社スポーツ部長に就任。2018年には名古屋本社代表となり、2019年には名古屋テレビの取締役となった。
 長氏は新聞が実名報道であるべきだと語る。「事件が発生したら、まず名前を出すことから始めないと。でなければ、その人が(略)この世に生きた存在が示されない。記号だけ報道してしまうと、この世にいなかったことになってしまう」。ネットが普及した現代においても、「書いて人権を守る」ことが大事だという。
 また、「民主主義というのは事実関係などの情報を表に出すことからスタートする」と語る長氏は、「健全に民主主義が発展する為には、健全なジャーナリズムが絶対に必要」と述べ、そのためにメディア各社は協力し合って生き残っていかなければならないと結論付けた。