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インタビュー調査<村山治氏>

 村山治氏は1950年に徳島で産まれ、徳島県立城南高校を卒業、1968年に早稲田大学政治経済学部に入学するも、70年安保闘争の中、ゼミ以外は大学に行かず自由に過ごす。
 1973年に毎日新聞社に入社。福井支局に配属され、他社の先輩から記者の基礎を学んだ。1978年には京都の亀岡支局へ異動。「『これを他社に抜かれるなら新聞記者から足を洗おう』と思い詰めた唯一の事件」だったという東本願寺事件の取材に身が痩せる程熱心に取り組む。
 1983年に東京へ異動となり、大阪との違いを経験、1985年に東京地検特捜部の担当となる。1988年には薬害エイズキャンペーンを手掛けた。その後、大阪社会部へ異動。「街頭班」から司法記者クラブ担当となり、自分のジャーナリズムの目標が定まった。それは、「命とカネ」そして「権力監視」である。その中で、「検察捜査のダイナミズムと報道の威力に痺れ」事件記者の面白さを心底感じたという。1991年には毎日新聞社から朝日新聞社に転じ、遊軍記者として権力構造の定点観測に邁進する。村山氏によれば、大蔵省中心の護送船団型システムによる権力構造が1990年代に徐々に壊れていった、という。「事件というのは、構造的な歪み、矛盾が法律違反の形になって噴出する」もので、事件の摘発でその歪みが具体的事実として出てくるのだという。
 2007年に『特捜検察vs.金融権力』を上梓して以来、権力構造と向き合った著作を次々に上梓。2009年3月からは「検証 昭和報道」という連載企画の中でリクルート事件の取材に注力した。定年後の2010年には特別報道部に移籍し、市田隆らと共に原子力発電所に関する取材を行う。
 2017年にはフリーランスとなり、現在も記者活動を続けている。新聞社の展望については「『紙のビジネスモデル』はもうだめだけど、よほどのことがない限り、新聞社は残ります」と結論付けた。