見出し画像

インタビュー調査<萩尾信也氏>

 萩尾信也氏は1955年に長崎県で生まれた。父親の務める鉱山の閉山に伴い、岩手県釜石市に移り住み幼少期を過ごす。高校卒業後、浪人生活を経て1976年に早稲田大学社会科学部に入学。在学中には探検部に所属し、遠征隊で世界一周の旅に出かけ「当たり前のようにまとまっていた価値観や物差しや、常識や正義みたいなものが、あっけないほどに吹き飛ばされていくような体験」の連続であったと語る。
 1980年に『毎日新聞』に入社後、前橋支局に配属される。「足で稼ぐ手法」は支局時代に「放し飼い」にして貰って身に着けたという。環境問題、障がい者問題、ハンセン病などを取材。1985年に東京本社社会部へ異動され、日航機墜落事故では御巣鷹山の現場に12日間野宿して、精力的に取材に当たり、遺族と交流し現在も通い続ける。「そもそも記者という仕事は、時に相手の心の中を突っ込んでかき回すような仕事でもあります。だからこそ、『どうすべきか?』その問いは今も続いています」と語る。また、遊軍記者として外国人労働者問題や自殺問題など様々なテーマの取材に取り組む。
 1991年からバンコク支局兼プノンペン支局員として特派される。帰国後は外信部のデスクとなる。1995年に『サンデー毎日』の編集次長となり、2000年1月から7月にかけて赤塚不二夫の生前慰問対談を企画・掲載。2001年からは『毎日新聞』東京本社社会部編集委員に異動、再び遊軍記者となる。2002年には先輩記者である佐藤健氏のガン闘病生活を記録した「生きる者の記録」で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。
 2011年に東京本社社会部部長委員就任。2012年には東日本大震災の被災者を取材した長連載「三陸物語」で日本記者クラブ賞を受賞。2015年から2021年3月の『毎日新聞』退社まで東京社会部専門編集委員を務める。退社後は客員編集委員として、「発信を続けること」を使命として記者としての人生を貫く。