インタビュー調査<平尾隆弘氏>

 平尾隆弘氏は1946年、大阪府吹田市生まれ。小学校時代にはNHK放送児童劇団に加入し、映画『猫と庄造とふたりのをんな』等、様々な作品に出演した。中学校二年生で児童劇団を卒業すると同時に芸能活動を引退。神戸市外国語大学を卒業後、小さい頃から本や雑誌が好きだった経緯から出版社に就職活動を行い、1970年に文芸春秋に就職した。
 最初は出版部に配属となったが、創価学会会長・池田大作の『私の人生観』をはじめとする宗教団体の買い上げを当て込んだ本を出すことに対して抵抗を感じ、悩む。翌年、商品部に異動し、品出しで本を運び、伝票を書く仕事を行った。翌年に『週刊文春』編集部に異動。赤塚不二夫の「ギャグゲリラ」の初代担当者を務める。1974年、編集総務部に異動し、日本文学振興会の事務方仕事を行う。芥川賞、直木賞、大宅壮一ノンフィクション賞、菊池寛賞等々、文春が出している賞関係の仕事に携わった。
 1978年に出版部に移り、次いで『週刊文春』『文藝春秋』編集部へ。出版部では立花隆、澤地久枝などノンフィクションを担当し、『文藝春秋』では山崎豊子の『大地の子』を担当した。1992年『CREA』編集長に就任、そこで習得した女性誌的な発想は『週刊文春』編集長になった際にも活かされたと語る。『週刊文春』では、地下鉄サリン事件に遭遇し特集した。しかし、週刊誌ジャーナリズムに乗り切れない自分を秘かに自覚したという。1997年『文藝春秋』編集長、衝撃的だった酒鬼薔薇聖斗事件を理解するには、少年Aの検事調書を公開することが必要だと考え、反対を押し切り、『文藝春秋』に全文を掲載した。
 2009年には代表取締役社長、日本文学振興会理事長を務め、2014年に退社。現在は神戸市外国語大学客員教授を務めている。現在の雑誌および出版界について、「出版界にとって厳しい時代が続くが、こんな時こそ編集者は思いっきり好きなこと、自分の興味あることを見つけて、面白がってほしい」と語った。

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インタビュー担当者:荻野結衣(主担当)、青山亮平(副担当)