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恩師の言葉の話

「良い選手になりなさい」

学生時代、サッカー部に所属していて、監督から伝えられた、唯一頭に焼き付いている言葉だ。
当時ぼくは、上手いわけでも下手なわけでもない、試合にはレギュラーで出場するものの、目を見張る結果は出さない。とにかく平均的な選手だった。

その「器用貧乏」だったぼくが、監督に相談したところ、冒頭のような言葉をかけられたのだった。

「正直、上手い選手なんて、世の中にいくらでもいる。本当に腐るほどいる。世界で考えると、日の目を浴びないとんでもなく上手い選手が沢山いる。でも、『良い選手』は『上手い選手』に比べて、圧倒的に少ない。お前は、これから『良い選手』を目指せ。」そう言われたのだった。

当時ぼくは、平均的な実力の反動なのか、性格だけはとがっていたいという気持ちが現れていて「良い選手ってなんですか?具体的に教えてください。」と食ってかかった。

「『良い選手』って、自分で考えてみろ。どんな選手だ?」

「そんなの、チームを勝たせることができる選手です。でもそれって、結局上手い選手ってことじゃないですか。」

「じゃあ分かった。プロの試合で考えてみろ。プロの試合で『上手い選手』って誰だ?」

「それは、中田英寿とか中村俊輔とか…。」

「彼らは確かに上手いけど、彼らがいれば、勝てるチームになるか?」

「いや、彼らだけじゃ、多分勝てません。」

「彼らは確かに『上手い選手』だ。しかもかなり。でも『上手い選手』なんて本当にゴロゴロいるんだよ。上手い選手は、チームを勝利に近づけることはできる。ただ『良い選手』に上手い下手はあまり関係ないと思っていい。」

「『良い選手』に上手い下手は関係ないんですか?」

「俺が考える『良い選手』に上手い下手はあまり関係ない。」

「じゃあ、どういうことですか?いい加減教えてください。」

食ってかかるぼくを制しながら、監督は

「俺が言う『良い選手』っていうのは、『応援される選手』ってことだ。」と言って、監督は続けた。

「これからは現実的な話をするけど、多分お前、プロにはなれるなれないかは別として、プロサッカー選手になるという選択よりも、もっと別の、たくさんの選択肢の中から、人生を選んで生きていくことになる。その時、サッカーが上手いとか下手なんて、一種の特技みたいなもんで、求められる要素じゃないんだよ。ただ、どこの世界に行こうと、お前は1人で何かを行うわけじゃない。だから、今この部活を通して『応援される人間』はどんな人間か徹底的に考えろ。」

と言われ。その「良い選手」という言葉がストンと心に落ちた。

それから、ぼくは、ぼくなりに『良い選手』というのはどんな選手かを考えて行動していた。挨拶をしっかりして、ゴミがあれば拾い、約束を守り、御礼を言うなど。当たり前のことを当たり前に行うよう、意識をした。

その結果がどういう形で表れたかは分からないが、どのコミュニティに行ってもぼくはある程度信頼される人間になったと思う。

でも、改めてこうして書いてみると、きっとあの時思い描いていた『良い選手』には、まだまだほど遠いようにも感じている。

『応援される人間』それはどんな人間なのか、改めて考えていきたい。

まがりなりにも長くこの事を考えていて、一つの出てきた答えは

「周りに左右されず、止まらないで動き続けること」

これは、1つ、応援したくなる要素であり、動き続けることはいつか人に感動を与えるレベルにまでなるのだと思う。

ふと考えて書いたことだけれど、あの時の監督の言葉が今も生きていることに驚いた。

応援される人間になろう。と、改めて。


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