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御前白柿

吹く風の冷たさが身に染みる大晦日、いちだんと冷えますね⛄

宝暦5年(1755年)初代園助が創業以来お菓子づくりのかたわら干柿の加工を手がけてきました。明治天皇に5代目祐斉が岐阜県知事を通じて白柿を献上したところ、「献上の干柿は、間違いなく両陛下の御前に差し出し候」との御沙汰書が県知事宛に下されました。祐斉は大変喜び、この栄誉を後世に伝えるために、以来この干柿を「御前白柿」と呼ぶことにしました。

垂井町にあるつちや栗原工場では、現在自家農園で約800本の「堂上蜂屋柿」を育てています。

「柿羊羹」の原料の堂上蜂屋柿は渋柿の最高品種で、岐阜県美濃加茂市の郊外の蜂屋が原産地になります。干し柿に適した質の良さ、極上の甘さは平安時代にはすでに広く知られ、美濃の特産物として朝廷に献上されていました。そこで昇殿を許された柿ということで、その後各地に生まれた柿と区別するため「堂上蜂屋柿」と呼ぶようになりました。

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毎年11月1日に、農園にたわわに実ったオレンジ色に輝く蜂屋柿の収穫を始めます。

何十万個と収穫した蜂屋柿の中から、よく色づいた形の良い柿を選び出すのが、御前白柿の第一歩です。選ばれた柿はひとつずつ丁寧に皮を剥かれ、撞木に糸をかけて竹のすだれ“連”に吊るされます。これから真っ白に粉を吹いた「御前白柿」が仕上がる12月末までは全く息の抜けない毎日です。

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干し初めから2週間ほど天気の良い昼間は“連”ごと外に出して日光に当て乾燥させます。その後も天気が良い日には日光にあて毎日1つ1つ藁の刷毛でブラッシングします。ブラッシングを続けることで、藁の先が柿の表面を刺激し白い果糖の結晶ができ始めます。

白くなり始めたと思っていても、雨が降ることもありますよね。今年も12月半ばにありましたが、柿の表面に水分が付くと結晶が出来なくなりますので大変です。冷えてかたくなってはいけないですし、湿気っては大変なので、藁のむしろをかぶせることもあります。天候の変わりやすい11月から12月にかけて担当の職人は毎日空をにらみながら、時には一日に何度も柿を外に出したり片付けたりを繰り返します。

その間、「御前白柿」を桐の箱に詰める準備をします。干した藁をすぐって、箱の長さに揃えたりすべて手作業で行っています。もちろんブラッシングようの藁の刷毛も、職人のお手製です。

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柿を大切に育て「御前白柿」に仕上げるまで、職人は子どもを育てるようだと話しています。真っ白な結晶に包まれた「御前白柿」はぽってりとした飴色の果肉を持ち、糖度は60度にもなる天地自然の生み出した滋味を濃縮した自然味の干し柿。クリスマスごろから仕上がり、今年も皆さまのもとへとお届けすることが出来ました。

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どうぞよいお年をお迎えください。

2022年、来年もどうぞよろしくお願い致します。

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