自転車T

「自転車乗りの王国」Chapter 05

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 見たことのない手紙を読み終えると、僕はもう一度だけラム酒に口を付けた。
 何も割らないそのままのラム酒は、僕のくちびるをひりひりと甘くしびれさせる。

 王様がこれまで、手紙を読まずに引き出しに入れてしまったことなどなかった。これが初めてのことだ。それでもやっぱり手紙を読んでみると、しっかりと王様の声が聴こえてくるのだった。

 手紙には、王様からの願いごとが端的に書き記されていた。
 いままで王様からの願いを聞き入れた事はない。一国の王様に僕がしてやれることと言えば、王国をどんなふうに発展させればいいかの助言をしてあげることだけで、他にはもうなにもない。
 そういう関係でいることが、もっとも王国のためになるのだと、そう信じてやってきた。

 そもそも、王様が我々に何かを願うことなど、ろくなものではないのだ。
 ある王様は戦争に使うための鉄をこちらに分けてくれだの、またある王様は、奴隷にする女が足らないから1人送ってくれだの、そんなところだ。

 そういうことがその国にとって、たとえどんなに重要なことだとしても、僕がそういうひとつひとつの問題を取り除いてあげたところで、なんの解決にもならない。
 大事なことはもっと奥底に眠っているのだ。
 そいつをたたき起こしてやらない限り、どんな良い進展も起こりえない。

 しかし今回の件は別だった。
 王様が望むこと、欲することに素直に応えてみようと思った。そうすることで何が起こるのかを見たかったし、しかし結局どうにもならないだろうという予想もついた。
 けれど、誰のためでもない、自分のためにしなければならないように思ったのだ。

 僕は誰もいない部屋に気を使いながら、静かに戸をしめて表へ出た。
 月は出ていなかった。それよりちいさな星達が煌煌と瞬いていた。月だけがいないその空を見上げて、なぜかおかしくなって1人笑った。

 受付から不審がる視線を感じたが、僕は気にせず歩いた。自分ではまったく気づかなかったけれど、もしかしたら千鳥足だったかもしれない。

 ともかく願いごとを叶えるのには5分と時間を必要としなかった。

 僕はベッドに身体を沈ませて明日からの生活のことを考えた。
 自転車がなくなったいま、ここからは他の交通手段を選ばなくてはならない。新しい自転車を買うという手もあるし、あとは電車で、という手もある。しかし、そんなどれもが自分らしくないな、と思った。
 そもそも自分らしいとはなんだろう。ゴミ箱の外に転がる自分か、はたまたゴミ箱のなかにきっちりと収まる自分か。

 どちらでも構わない。いま自分が思う事をやってみよう。そして死ぬときになって、それがどちらだったか決めればいいのだ。
 いまはとりあえず、どちらかもわからない自分を続けてやろう。

 そう1人腑に落ちて、朝目が覚めたら、どこか部屋を見に行こうと決めた。
 この街に住むのに便利で、家賃も手頃な物件だ。
 海の近くでもいいし、だめなら駅の近くでもいい。
 とにかくこの街で自分を続けることがいちばん大事なことだと思った。
 こういうのに理屈は無い、きっとタイミングが合ったんだ。
 

 そして、次に僕は王様と、そして王国のことを考えた。

 王様からの願い事はこうだ。
 「たくさんの悩みをするなか、王国の外を見たくなりました。どうか、あなたさまの自転車を拝借できませんでしょうか」
 僕はそれに二つ返事で応えた。
 すぐさま愛車である自転車を王国あてに送り込んだ。きっともうすぐ、王国に自転車が届くころだろう。

 自転車を見るやいなや、王様は自転車に跨がり、王国を飛び出していくのだろう。
 王国はさぞや大騒ぎになるに違いない。
 なにせ王国から王様が、一台の自転車で消えてしまったのだから。
 その慌てふためく王国を想像しながら、僕は笑いをこらえきれなくなって吹き出した。
 けれど、3日もすれば代わりの王様が選ばれて、王国は平穏を取り戻す事だろう。

 そういった王国を忘れて、果たして王様はどこへ向かうのだろうか。
 あの自転車にのって、なにを見るのだろう。
 こぎ続ける自転車は果たしてどこまで行くんだろう。
 きっと、国境や、飢餓や、紛争なんかも越えていくんだろう。
 そうして王様はそういう何もかもについて、宛名のない手紙を書くのだろうか。

 その旅が終わる場所で、王様は何か答えを見つけ出せるのだろうか。
 王様の思いは動き出した。くるくると勢いよくまわりながら。



終わり

イラスト:たかはしちゃん

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