[短編]「宇宙は13:48の眠りにつく」中編

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 妻が妊娠したのだ。もちろんマサトとの間にできた子だ。しかし、それは想定された懐妊ではなかった。
 トリーへ転住するにしたがって、家族の金銭的な負担をこれ以上増やすわけにはいかなかった。いままでなら小さな会社といえど、それでも家族2人を養うだけの稼ぎはあった。すこし貯蓄する額を減らせば、あと1人くらい養う余裕だってあったかもしれない。
 しかしトリーの社会環境ではとてもそこまでの水準をのぞむことは難しかった。あと1人どころか、現状でも貯蓄ができるかどうか怪しいところだ。
 そこへもう1人子どもができるなど、あり得ていいはずがなかった。

 そしてそんなことよりもさらに大きな、致命的な問題がそこにはあった。

 この船は3人乗りなのだ。

 居住スペースの話ではない。理論的に3人までの人間しか生きることのできない設計になっていた。濾過される水、空気、食料、それらがすべて大人3人を想定されてつくられている。
 大人2人と、子ども2人。なんとかなりそうなもので、これもマサトは事細かに何度もシミュレートした。マサト自身の体重を少しずつ減らしていけば、食料はどうにかなった。水も同様に、小水を濾した質の低い水を飲用すれば問題ない。しかし空気だけはどうにもならなかった。こればかりは、新たに酸素を補充する必要がある。

 これも、平常時であれば他の船からもらうなどすればどうにかなるかもしれない。
 しかしいま航行しているエリアは紛れもない紛争地帯だった。ヤシマ家のホウムシップは非戦闘船ということで、あらゆる信号を発しない事を条件に、このエリアをなにごともなく通過することができた。

 それはつまりどのような条件であれ、たとえ緊急時だとしても救難信号のひとつすら発する事ができないということだ。下手に救難信号など出せば、あたりに浮かぶ何百という無人戦闘船が有無をいわさず攻撃を仕掛けてくるだろう。
 紛争地帯において、敵や味方などの分別はない。戦闘船それぞれにあたえられた識別コードのみが唯一、攻撃対象を見定める手段だった。
 非戦闘船にはその識別コードなんてあるわけがない。
 まさに打つ手のない状態だった。
 ただじっと、子どもがお腹のなかで大きくなるのを見守るしかなかった。

 そしてついにコンピュータのカレンダーが、今日が出産予定日であることを告げた。

 マサトはひそかにある決断をしていた。それは自らの命を絶つということだった。
 脱出ポッドにのり、宇宙空間へ自らが飛び出す事によって乗員を一名減らすというものだ。当然、脱出ポッドには長い間生きることのできる機能は備わっていない。こんなところでひとたび射出されてしまえば、それはすなわち死を意味する。
 しかし、もうそれしか取るべき方法はなかった。
 三日前から、妻は簡易的に分娩室に仕立てたベッドルームに眠っている。無菌状態を維持するためにマサトと子どもは一切部屋には入らず、リビングで過ごした。あとすこしすれば、陣痛がはじまり、それを察知した介護アームが適切な処置をほどこしてくれるだろう。その前に、マサトは船を出て行こうと決めていた。

 だがいま生まれこようとする我が子を見ずに、この船をあとにするのには幾分かの後悔もあった。
 これから一生懸命に成長する姿を見る事ができない惨めさ。
 そしてなにより何もしてやることのできない悔しさ。それを思うとなんとも言えない感情が胸に込み上げた。
 しかし決して涙は流すまいと誓った。いま自分にできる精一杯を息子にしてやろう。

 マサトは三日前からある楽曲をつくりはじめていた。まだ見ぬ我が子へ送る曲だった。まだ自分が生きているうちに、せめていまできることをしてやろうと思った。生まれてすぐは無理でも、しばらしくして音楽を感じることのできるようになったとき、この曲を聴いてほしいとおもった。それが唯一父が遺したものだと、妻に伝えてほしかった。

 その曲は普段つくるものよりもすこし長くなった。
 きっと見納めのライブレコーダーの再生時間が長かったからに違いない。
 曲は一定のリズムを刻み、そして優しい旋律と、独特のうねりをもつグルーヴ感とが合わさった渾身の一曲だった。
 その曲を作りおえ、横で寝ている息子の寝顔を見ると、自分の気持ちがおそろしいほど穏やかなことに気づかされた。
 もうそこに微塵の後悔も残っていなかった。

つづく

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