「自転車乗りの王国」Chapter 03
海岸に国道を一本挟んだだけの海沿いに、ホテルはあった。
それほど広くもない敷地のなかに、ちいさな建物がぎっしりと並んでいる。
僕はコンピュータの基盤をのぞくようにしてそれらを眺めた。
初めて来た場所だったが、ふとした懐かしさを感じた。古い映画で見たことがあるような、そんな漠然とした既視感だ。
いちばん手前に質素な受付用の小屋があり、そこからそれぞれの部屋に渡り廊下が続いている。
その渡り廊下には端から端まで切れることなく屋根がかかっていて、なるほどこれは几帳面なホテルに違いないと感心した。
受付で一週間ほど滞在することを告げ、鍵を受け取った。
部屋はいちばん奥にあった。
横には裏山の木々がすぐそこまで迫っていて、窓を開けたら飛び込んでくるんじゃないかと思う程だった。
僕は荷物を整理して、部屋を出た。自転車を置いてしばらく歩きたかった。
海沿いは相変わらずからっとした晴天で、道路はこれから炒飯を炒める中華鍋のように熱そうだった。
道の脇には等間隔でパラソルが並んでいて、それぞれジュースやらアイスクリームやらを売っている。
パラソルがいちばん派手なところから缶ビールを買って飲んだ。あまり見た事がない缶のパッケージだったか、味はそこそこだった。一緒にナッツでも口に頬りこみたい気持ちをこらえて、僕はつづきを歩いた。
結局僕は暴君のいる王国を売った。もうずいぶん前のことだ。
とくにその王国に対してしたことは何もなかったので、売値は購入金額の三分の一以下だった。
それでも何の躊躇もなく、中古ショップ店員の提示額に二つ返事でうなづいた。
そこからは王国を買う前に、きちんと王様と面接の機会を儲けることにした。店の人に断りを入れ、じっくりと三日かけて話し合った。大抵の場合は店員にいい顔はされないが、それでも必要な行為だった。
なぜ三日なのかといえば、一日では短すぎるし、一週間では長過ぎる気がしたからだ。面接をしたときの印象がのちに変わったことはないので、僕のこの三日面接は王国購入時のひとつの通過儀礼のようなものになっている。
そこからは少しずつ王国の繁栄に貢献できるようになった。
複数の王国を同時に育てた時期もあった。なかには購入時と同じ値段にしかならないものもあったが、資金が下回ることがなければ、それで僕は十分だった。
いま持っている王国は二週間前に新品で仕入れたものだ。王様も初めての試みだったようで、右往左往していたが、僕の助言を機械のように精密に汲み取ってくれる聡明な王様だった。
こちらからの助言はすべて書面で行われる。書面とはいっても小難しい文体や型があるわけではなく、大抵の場合手紙のように書いて、あとは王国のなかに放り投げれば、専門の配達員が城のポストへとどけてくれた。
それ対しての返答は、受け取ったときの王様の反応をこちら側で観察するしかなかった。ある王様はすぐさま行動に移すことで返事とするものもいれば、またあるものは、丁寧に僕へ向かって話しかけてくれるものもいた。
このいまの王様は、僕宛に返事の手紙を書く王様だった。向こうからこちらの世界へ物質を届けることはできないので、手紙を書くという行為に意味はなかったが、王様はいつも律儀に筆をとるのだった。
そして書き終えると、それを頭から最後まですべてを音読した。とくに僕に向けて話している、というわけではなかった。どちらかと言えば、推敲するために自分に言い聞かせているというのが正しいように思えた。
その王様らしく、句読点の間の取り方に寸分の狂いもなく、変な抑揚をつけることなく読む姿は、僕は本当になにかのロボットなのではないか、と疑ってしまうほどだった。
読み終えた手紙を、王様はいつも右の下から二番目の引き出しにしまった。その引き出しには僕へ宛てた手紙しか入っておらず、上を新しいものから順に並んでいる。
僕は王様の朗読が終わった後も、何度かその引き出しから手紙を出して読み返すようにしている。しているというよりも、気づくとそうしているのだった。いつ読み返してみても、あの王様の声は鮮明に蘇った。僕の頭のなかでも、王様は正確に句読点を打った。そして僕まで機械のような王様になった気分になった。
けれどそれは決して悪い気分じゃなくて、永遠の命を手に入れるかわりに、ロボットになってみるのも悪くないんじゃないか、なんて馬鹿なことを考えたりした。
もうビールは空になっていた。缶を覆う水滴がいやに指にからみついた。
海を見ると太陽はようやく目の高さまで落ちてきた。
僕は今来た道を引き返し、ホテルへと戻った。
まだ日は落ちないが、あとの時間はホテルでのんびりしようと思った。
眠れなかったらまた王様の手紙でも読み返せば良い。
そんなことを考えながら、国道をクロスハッチングしたみたいなヤシの木の陰をぴょんとまたいだ。
つづく
イラスト:たかはしちゃん
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