バキアニメ 超回復と弛緩について

現在、ネットフリックスではバキアニメの「大擂台祭編」を見ることができる。このあいだまでの続きだ。

公式サイト https://baki-anime.jp/


テレビ放映は7月6日ということで、まだ見ていないひとも多いだろう。以前までの感覚では、バキがアニメをやると聴いても、もともとバキを読んだことのある、それもかなり重く読み込んでいるファンばかりが見るのだろうと想像しただろうが、いまはそうおもうわないし、じっさいそうでもないようである。ネットフリックスのよいところは、テレビ同然の手軽さもありながら、豊富なコンテンツをじぶんのペースで見れるということで、その手つきのなかにバキが含まれる、ということになる。「よーし!これからバキを見るぞ!」と気負う必要はないし、なんとなくつけてみてつまらなければ停止、判断できない微妙さならまた次回、などということができるのだ。バキのコミックを買おうとならうと、「バキを読む」という動作から逃れることはできないが、わたしたちはあくまで「ネットフリックス」にお金を払っているのである。これは導入として素晴らしいとおもう。
こういうわけだから、アニメから入るファンも一定数いると想像できるのだ。なにしろアニメの出来がよいということもあるだろう。前の死刑囚篇の比べると、アライジュニアまで一気にやらなければならないので、多少急いでいる感じは否めないが、それでもたいへんなおもしろさである。質がよければお客はついてくるという時代は終わった、と誰かがいっていたが、お金の回収方法があらゆる方向にあるアニメのような方法はまだまだこのはなしは有効だろう。

そうしたところで気になるのは、じゃっかんの説明不足というか、このはなしは果たしてアニメをさらっと見ただけで意味のわかるものだろうか、という箇所があるということである。これはアニメの問題ではなく、バキの特性でもある。要は原作でもそこのぶぶんはそこまでくわしくは説明されておらず、それでも、バキ読者は鍛えられているので問題なかったが、アニメとなるとどうかな、というふうにおもわれたわけである。
どこのぶぶんかというと、二箇所あるのだが、「超回復」と「弛緩」である。いらぬ世話かともおもうが、ひょっとしたらうちのブログ伝いにバキを読んでいる、そしてアニメを見ているというひともいるのかもしれないので、ちょっとそのあたりの雑談をしたい、とおもった次第である。


【超回復】

まず「超回復」である。このあたり謎も多いので、ひととおり見ていこう。
柳龍光からの受けた毒の影響でバキは瀕死の状況になっている。どういう意図があってか、バキは梢江とともにかつて夜叉猿と死闘を繰り広げた飛騨の山中にわけいり、安藤さんに会いにいく。ひとつには、死が間近に迫っていたことで、なにかこう、バキのなかに、感傷的なものが生じて、彼が間違いなく超人となり、範馬の血を証明することになった最初の契機である飛騨に回帰したくなった、みたいなことはあるかもしれない。そしてもうひとつ、これは想像だが、「安藤さんならひょっとしたなんとかしてくれるんではないか」みたいなすがる気持ちもあったかも。安藤さんは医者ではないが、山のなかで野生と暮らす、いわばピュシスとしての人体を日々意識している人間である。その点ではガイアとかよりも上ではないかとおもわれる。げんに安藤さんはすぐにバキのからだが毒に侵されていることを見抜き、なにやら薬草を煎じてくれたのだ。しかし手遅れだった。どうしようもない。こういうところで、烈海王があらわれる。彼は、バキを中国に連れ出し、大会に出場させるのである。烈は、たたかいこそが必要なのだ、と強弁するが、正直言ってこの言はまったく説得力がなく、結果オーライとしても、烈がどういうつもりでいたのかというのは、いまいちよくわからない。このあとバキは、柳同様毒手を用いる李海王とたたかい、重ねて毒を受ける。そして、毒が裏返る。この原理についても、誰にも本当のことはわからない。毒と毒がぶつかり、中和のようなことが起こったようでもあるし(勇次郎は李が「治した」ととらえている)、李や烈が可能性として示したように、梢江のもたらす多幸感が脳内麻薬的なものの分泌をうながし、化学反応を起こしたのかもしれない。そのしくみは杳として知れない。が、問題はそこではない。烈は、果たしてどこまでことを予想していたのだろうか、ということだ。彼は、李の猛撃を受けて倒れたバキを見て、なにかに気がつく。この時点ではまだなにも起こっていない。しかしなにかを感じ取る。そしてげんにバキは、このあと梢江の涙で覚醒し、毒を消失させてしまうのである。あのときの烈、なにかに気がついたときの烈は、それが「裏返り」だと直観しているようでもあった。それはよい。問題は彼が驚いていることである。つまり、あのようにして毒が裏返ることは、少なくともその過程は、彼の想像を超えていたのだ。
烈は、勉強熱心な拳法家として、「そういうことがありうる」ということは、知識として知っていたのだろう。だがどうやればそれが起こるのかは烈にもわからなかったのである。そして、治療が不可能である以上、とことんまでバキを追い込んで、そこで起きるなんらかの反発、身体の抵抗に期待する以外もはやないと、そのように考えたのではないだろうか。世界最高のドクター鎬でも、野生に生きる物知りおじさんの安藤さんでも匙を投げた。他人がどうこうでいる段階は過ぎてしまっている。だとするなら、バキじしんがこれを乗り越えるしかない。だから、彼はバキを大会に出場させ、さらには相手が毒手使いであったことを喜ぶ。とにかく考えられるもっとも過酷な状況を作り出し、バキのからだがそれに抵抗しようとする、その動作が、ひょっとしたら毒を裏返らせるかもしれないと、そんなふうに考えたのだ。

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