飲みに行く

昨日の日記で、同期と飲みに行ったと書いた。しかし「飲みに行った」という表現を酒が全く飲めない俺が使ってしまったことについて今日一日反省していた。

酒が飲める人が「飲みに行く」という表現を使うのは当たり前だし、酒が飲める人が俺を誘うときに「飲みに行こう」というのは全然問題ない。しかし俺みたいに酒が全く飲めない人発信で「飲みに行く」という表現を使うのはどうかと思ってしまう。俺は友人に誘われて「飲みに」行ってるのではなく「食べて」「喋りに」行っているのだと強く思ってしまう。俺からしたら高校生の頃部活帰りにサイゼリヤでミラノ風ドリアとたらこソースシシリー風にドリンクバーを付けて夜まで友達と喋っていた時の方がよっぽど「飲んで」いた。

一般論として酒が飲める飲めないに関わらず二十歳を過ぎたら「ご飯を食べに行く」という表現が「飲みに行く」に変わっているだけだから気にするなと言われるかもしれない。俺もそう思って友人を居酒屋に誘うときにわざわざ「ご飯食べに行こう」というのも多少の違和感があり、その違和感の何倍もの罪悪感を抱えながら「飲みに行こう」という誘い方をしたことは何度もあった。それが大人の階段を上ったということなのだと自分に言い聞かせていた。俺だってコーラや烏龍茶を「飲んでいる」のだから「飲みに行こう」と言っても問題ないだろうと強引な理屈で自分を保った夜もあった。

しかしいざ文字で「飲みに行った」と自分が書いているのを見ると、やはりそれは違うと思った。「飲みに行く」という表現はどう考えても「(酒を)飲みに行く」ということだ。酒が飲めない奴が「飲みに行こう」という表現を使うのは無理がある。見ていられない。登録者数20人のYouTuberが芸能人をさん付けして呼んでいるような感じである。どうしても背伸び感が出てしまっている。酒が飲めない人は大人しく「ご飯食べに行こう」と言っておけば良い。そっちの方が等身大の自分が出ていて可愛げがある。これからは背伸びせず「ご飯食べに行こう」と言うことにしよう。

しかし、こんなことを考えている人間が「楽しい飲みの席」に向いていないのは確かである。


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