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嫌いだった雨が少しだけ好きになった話

私が生まれ育った場所は、よく雨が降る場所だった。


大事な部活の大会の日も、
友達と遊びに行くときも、
気になる彼との初デートの日も、
大学受験の日も、ずっと雨。
しかも一度降り出すと止まらない。
気分も鬱々としてしまう、そんな天気がとても嫌いだった。
通学バスに大事なかばんを忘れてしまったのも
最近友人とうまくいかないのも
部活でも試験でもいい成績が残せないのも
ぜんぶ薄暗い雨のせいだ。
いつか、こんな場所出ていって天気の良い場所で一生暮らすんだ、
そうして大学進学を機に、私は地元から離れて一人暮らしを始めた。


新生活の拠点は、晴れの日が多い街。


大きな商業施設がたくさんあって、人も多くて、
テーマパークからも近い、絵に描いたような都会だった。
まさに晴れが多くて新生活にふさわしい。
地元の友人や家族と離れることでホームシックな気持ちもあったけれど
それ以上に、心は晴れやかだった。

晴れた休日は、人と会う予定があってもなくても
必ずと言っていいほど外に出た。
今まで浴びそこねた日光を浴びに行くみたいに。
キラキラした場所に行けば、
その瞬間だけでも自分がキラキラしているように見えて
とても気分が良かった。
ただただ憧れに惹かれるまま
いつしか、そういう「キラキラした自分」が
本当の自分だと錯覚するようになった。

就職口が広いからと、大学卒業後も私は
晴れの街に居座り続けた。
ご縁があってスムーズに就職先が決まり、
新社会人としてスタート。
期待と不安を抱え、都会で生きることを決めた。

大好きな愛犬の死。

忙殺される日々の中で、実家から急に連絡が入った。

「◯◯(愛犬の名前)、死んじゃった」

小さい頃から一緒にいた、大好きなあの子が死んだ。
かなり高齢だったから毎回帰省するたびに覚悟はしていて
泣き崩れることも想定していたけれど
少しの間呆然と文字を眺めて、私はそのまま仕事をした。
自分でも驚くくらい、涙は流れなかった。
その日も雲ひとつなく、晴れていた。

週末、愛犬の葬儀を終えて
いたって普通の顔で仕事に戻った。
そして愛犬の死を皮切りに、余計に仕事に奮闘するようになった。
色んな案件の担当になって、深夜の工事の担当もして。
当時の彼氏はそんな私を心配してくれていたけれど
聞く耳を持たないまま走り続けた。
一度立ち止まったら、また走り始められる自信がなかったから。

そんな生活を半年ほど続けて
色んなことが重なって
身体の方が悲鳴をあげはじめて
強制的に立ち止まるほかなくなった。
私は適応障害になった。

再び雨の町へ


療養のために再び地元に帰ることになった。
帰ってきて数日、やっぱり雨だった。
雨を毛嫌いして出ていった日も、
疲れ果てて帰ってきた日も同じ雨。

でも不思議と気持ちは以前のときより軽くなっていた。
私が背伸びしなくても、肩肘張らなくても、
知ったこっちゃないっていう顔で
雨はずっと降っていて
街行く人達がどんな日を過ごそうと
ただただ受け入れている。

そう思うと、なんだか拍子抜けした気持ちになった。
今まで晴れに力を入れていた私。
キラキラしている自分は見た目がいいから
ずっと晴れの姿でいられたら、ときっと誰もが一度は思う。

でも、全員が全員ずっと晴れの姿でいられるわけではない。
息を抜く場所も時間も必ず必要。

晴れの町にいた頃は、
息を抜くことを蔑ろにしているうちに
息の抜き方がわからなくなってしまっていた。
キラキラしていない自分には価値がないと思い込んでいたように。
息を抜いてようが、力をいれようが私は私なのに。

地元に戻って、
家族に迎え入れてもらって
大事な友人に支えられて

雨が降るこの町は、
ずっと昔から私に息の抜き方を教えてくれていたんだ、と
ようやく気がついた。

雨には雨の良さがあって、
雨があるからもっと晴れの日を大切に思える。

嫌いだった雨が 今は少しだけ好きになった。


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