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マハティール構想を支持した古川栄一

日本国際戦略センターを設立


 元外務官僚の古川栄一は、『貿易と関税』、『世界週報』等を舞台に、1990年にマハティール首相が提唱した東アジア経済会議(EAEC)構想を支持する言論活動を展開し、志半ばで斃れた。言論人たちがアメリカに阿り、EAECに沈黙する中で、古川だけは自説を貫き通した。

 古川は、1953年外務省入省、在タイ大使館参事官を経て、国連アジア太平洋開発センター副所長を務め、1991年に日本国際戦略センターを設立した。
 1997年12月に「ASEAN+日中韓」(ASEAN+3)首脳会議がクアラルンプールで開催された際の日本政府の混乱について、古川は次のように書いている。
 「日本はEAECに参加しないから、EAECは自然死すると豪語した。アセアン側は、そこで日本抜きで、しかも中国(および韓国)の参加のみでEAECの首脳会議を開催することにした。そうして日本の池田外相は、跳び上がるようにして驚いて、日本は首脳会議に参加した」(古川栄一「アジアの平和をどう築きあげるか」(歴史教育者協議会編『歴史教育・社会科教育年報〈2001年版〉二一世紀の課題と歴史教育』三省堂、2001年、24頁)。

対米追従外交を批判した元外務官僚


 古川は、アメリカの追従してEAECに消極的態度をとる外務省の姿勢を厳しく批判していた。関係セミナーでの質疑の場でも彼は外務省の姿勢を常に質そうとしていた。
 例えば2001年2月2日(金)に開催された円卓報告討論会「海洋国家日本の構想-世界秩序と地域秩序-」のセッションⅡ「世界秩序と地域秩序」では、貴重報告をした日本国際フォーラム専務理事の太田博氏の発言に関係して次のように語っている。
 〈さっき、太田さんから東アジア協力は重要だというお話があったんです。それでアメリカが反対していると。それで、アメリカによく説明すればわかるんじゃないかというお話でした。ところが、東アジア協力は最初、マハティール首相が提案したのは1990年12月です。それで、第1回首脳会議ができたのは1997年12月ですから、丸7年かかったんです。その間、日本がどの程度したか知りませんが、説得するチャンスは幾らでもあったんです。ところが、日本の外務省は、説得しないのか、説得する能力がないのか知りませんが、7年かけて何もしなかったんです。それで最後に、私が、外務省はだめですからASEAN側に言ったのは、「日本抜きでやったらいいじゃないか」「ASEANと中国だけでやると言ったらいいじゃないか」と、そう言ったら、ASEAN側が「そうします」、「ASEANと中国でやります」と言ったら、池田外務大臣が飛び上がるほど驚いて「日本は出席します」と、それで出席したわけです。それで、そういう既成事実ができたら、ごく最近ですが、アメリカの国務省は、「東アジア協力は結構なものである、日本は大いにこれを推進すべきである」と、こう言ったわけです。ですから、アメリカは、東アジアにおけるアメリカの影響力というんですか、覇権というんですか、何と言っていいかわかりませんが、それをロシアが北方領土を握っているように、自分の私物のように考えて、握ったものは絶対離さないという態度をとったんです。握ったものを絶対離さないというアメリカに対してアセアン側がどういう態度をとったかといったら、知らん顔をして既成事実をつくることなんです。そうしたらアメリカは、「これは非常に結構なことだ、大いに賛成します」と言いました。
 アジア通貨基金については、皆さん、多分ご存じのように、チェンマイ・イニシアチブのスワップ・アグリーメントというわけで実現しているんです。これも、アメリカは反対したんですが、大蔵省がそれを無視してやったからできたんです。できた後、アメリカは「こんないいものはない」なんて、こう言っているんです。だから、アメリカとのつき合い方の1つとして、そういうことを申し上げます〉

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