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坪内隆彦『木村武雄の日中国交正常化─王道アジア主義者・石原莞爾の魂』おわりに

十二年ほど前、東亜連盟同志会名古屋青年部設立に参画した平澤光人らが編んだ『永久平和への道』を読み、戦前に東亜連盟協会を設立した木村武雄が、戦後、田中角栄政権で大臣を務め、周恩来首相と会談した際、開口一番「今、日本の東亜連盟の同志はどうしていますか」と尋ねられた事実を初めて知った。それが本書を執筆しようと考えたきっかけだ。その事実は、「覇道文明を超える民族協和の理想 石原莞爾」(『月刊日本』平成二十三年二月号掲載)でも言及した。
 その後、「日中国交正常化の過程で木村武雄が重要な役割を果たしていたのではないか」という仮説を立て、すぐに石川正敏による木村武雄の評伝『政治なき政治』(時事通信社)と、木村武雄の自伝『米沢そんぴんの詩』(形象社)を読んでみた。ところが、『政治なき政治』の刊行は昭和三十八年なので、当然昭和四十七年の日中国交正常化のことは書かれていない。一方、『米沢そんぴんの詩』の刊行は正常化後の昭和五十三年だが、正常化についてはなぜか詳しくはふれられていなかった。私の「木村武雄熱」は一気に冷めてしまったのだ。
 それでも、地道に資料収集を続けた。佐藤政権時代の昭和四十年前後に、木村が米沢交友会から多くの本を著していたことがわかった。『危機宰相論』、『国づくりと「農工一体論」』、『私の社会開発』、『私の政治姿勢』、『私の人間尊重』などだ。ところが、これらの本は国立国会図書館にも所蔵されていない。そこで、山形県立図書館から私の地元の図書館に送っていただき複写した。それによって、佐藤政権当時も木村が日中国交正常化に強い思いを抱いていたことが窺えた。そこで、日中国交正常化に関わる本を貪るように読んでみたが、やはり木村の名前はほとんど出てこない。
 半ば執筆を諦めながらも、問題意識だけは辛うじて持ち続けていた。それから十年近くが経った。日中国交正常化五十周年を翌年に控えた昨年末、もう一度挑戦してみようと思い直し、木村武雄の孫忠三氏(現山形県議会議員)に連絡をとった。すると、年が明けて忠三氏から電話をいただくことができたのである。こうして、私は木村武雄の次男莞爾氏(元山形県議会議員)への取材を開始することができた。
 「日中国交正常化は田中角栄さんと周恩来さんによって実現しましたが、影の主役は親父と廖承志さんだったのです」という莞爾氏の言葉を聞いて、私の仮説は間違っていなかったと確信することができた。こうして私は「木村武雄の日中国交正常化」の執筆を開始した。
 まず、インタビューに応じていただいた、木村武雄の次男莞爾氏、三男征四郎氏、孫の忠三氏に心から御礼申し上げたい。
 後でわかったことだが、木村は政治の世界で「影武者」として生きようと決意していた。「影武者」だから、表に出てこないのは当然だ。それでも、「周恩来の密使」と呼ばれた王泰平・北京日報東京特派員の『あのころの日本と中国』や、日中国交正常化で重要な役割を果たした川崎秀二の『日中復交後の世界』などには、わずかながら木村の役割について言及されていた。こうして私は、『通信文化新報』一月三十一日付から、「石原莞爾の理想を体現した男・木村武雄」の連載を始めさせていただいた。同社相談役の永冨雅文氏と、執筆のきっかけを作っていただいた稲村公望・元日本郵便副会長に心より感謝の意を表したい。
 ところで、私が木村莞爾氏に取材を開始してまもなく、作家の門田隆将氏が莞爾氏に取材に訪れていたと伺った。同氏の『日中友好侵略史』(産経新聞出版)は九月一日に刊行され、第六章「もう一人のキーマン」に木村武雄のことが詳しく書かれている。ただし、その視点は「中国による対日工作七十年」。私の視点は「西郷南洲以来の王道アジア主義百五十年」、もっと言えば肇国以来の八紘一宇(八紘為宇)である。

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 本書の着想の多くも、同志たちとの議論に負うところが大きい。『維新と興亜』発行人の折本龍則氏と副編集長の小野耕資氏をはじめ同人の皆様に御礼を申し上げたい。校正作業では『維新と興亜』同人の庄宏樹氏に大変お世話になった。記して感謝申し上げたい。
 私事になるが、本書で取り上げた東亜同文書院には特別な思いがある。母方の祖父・川瀬徳男が第二十六期生として書院で学んだからだ。愛知大学東亜同文書院大学記念センターの伊藤綾子氏からは、『東亜同文書院史』に掲載された第二十六期生の回想録をご提供いただいた。感謝申し上げたい。
 平成四年に展転社から刊行された横山銕三『「繆斌工作」成ラズ:蒋介石、大戦終結への秘策とその史実』は、戦前の中国での木村武雄の動きを知る上で不可欠な一冊だった。それもあって、同書を手掛けた同社前社長の藤本隆之氏には、是非原稿の段階で本書を読んでいただこうと思っていた。
 日中国交正常化五十周年に当たる九月二十九日までの脱稿を目指して執筆ペースを上げていたが、同氏は九月十六日に永眠された。衷心より哀悼の意を表したい。
 本書を藤本隆之氏と祖父・川瀬徳男の霊に捧ぐ。

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