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ささやかな学び

#生きたお金 #人間性#学び#きづき

震災募金を社内で行ったときのこと。

A君の姿に心打たれた。

どちらかと言うとA君は物静かで目立たない、自分からはあまり発言しないタイプ。

そんな彼はお財布からサッと五千円札をとり出すと、戸惑うことなく、募金箱にいれた。

震災募金の必要性は頭では理解しているけれど、A君のように、紳士的な対応ができるかと問われると、恥ずかしながらなんとも言えない。

A君のこの行動に感動しながら募金箱を持って社内をまわる。

お金の出し方って本当に人それぞれだなぁと改めて感じた。

少し年配の女性は、お財布からじゃりじゃり。

どうみてもお財布にある一円玉をかき集めている様子。

きっと、重かったからなのか。その一円玉ばかりをじゃりじゃりと募金箱に入れた。

一円玉も大切なお金であることに変わりはないが、A君の対応をみた後だったためか衝撃的であった。

きっと、お財布を整頓するような出し方をしていなければ彼女の印象は変わっていただろう。

どうせなら、お金には気持ちよく羽ばたいてもらいたい。

必要とするところへ、少しでも気持ちを届けたい。

そう思いながら私は、千円札を入れた。

額はA君には劣るけれど。

私はこの千円札で二つのことを学ばせてもらった。

一つは、募金活動継続の必要性。

もう一つは、やはりお金の出し方である。

日本人は他の国の人と比べると、家庭や友達同士でお金の話をすることはタブー視されてきた。

しかし、こういった光景を目の当たりにした時に、お金の教育の必要性を痛感したのである。

子どもたちには、やはり生きたお金の使い方をしてほしい。

お金の扱い方にも気をつけてほしいと願う。

そういえば、今思い出したことがあった。

生前に祖母がこう話していたことを。

「自分が少し我慢してでも誰かのためになるなら、誰かのために徳をつみなさい。」

祖母のことを振り返っていたら、もう一つ思い出した。本当にびっくりである。
やはり、書くことは大切だ。

それは、一緒にデパートに出かけた時の出来事。

寒空の下、床の上に毛布が敷かれたその場所に、彼ら盲導犬が大人しく座っていた。

かたわらでは、募金活動する人々。

行き交う人々は、募金活動に関わりたくないためか、黙って通り過ぎる。
しかし、祖母はいつも一旦立ち止まってしゃがみ込み、盲導犬たちの頭を優しく撫でていた。
「えらいね。」
と言って撫でていた。

その後、お財布からお札を出してそっと募金箱に入れていた。
募金活動する若者たちに、
「ご苦労さまです。」
とそう言っていた。

その祖母の行動を私は幼い頃、幾度となくみてきていたのだ。

今回の募金によって、さまざまな学びや気づきがあった。

亡くなった祖母のあたたかさまで思い返すことができた。

生きたお金の使い方。

私はこれからは、そういったことができるように生活していきたい。

子どもたちにもしっかり伝えていきたい。

祖母が思い出させてくれた大切なことを。

そしてまたいつか、祖母のことも書いてみたい。

今日の気づきに感謝。

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