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「ちいさなかぶ!」第8話

 そして、迎えた土曜日──わたしのうちに集まった3人は、おにぎり屋『山さん』のエプロンをつけ、頭巾をかぶって戦闘準備を整えていた。
なんと、急にアルバイトさんが2人も来れなくなって、大ピンチの両親から「お昼の間だけ代打でお願い! この通り!」と頼み込まれてしまったのだ。

「似合う~!?」

 ルンルンでバイト衣装を見せびらかす音ちゃんは、初めてのバイトに超ご機嫌らしい。一方、その横には超落ち込んでる人がいる。

「誤算……ッ!」
「ご、ごめんね蓮ちゃん」
「美味しいおにぎりを食し、楽しく株の話に興じる素敵な休日プランが……」

 真っ青な顔でわなわなと震える肩を、音ちゃんがポンポンと叩く。

「いいじゃん楽しそうだし。つか、なるっちって前にアルバイトやったんだよねー? その時は何をしたの?」
「マンションの清掃、工場で品物を箱に詰めたり、シール貼ったり、ファミレスのキッチン、仕分け、検品……」

 多いな。そして全部人と接しない系だ。

「どれも1日でやめた」
「マジかよ!?」
「私、労働は不向きのようなのだ」

 なぜか照れながら社会不適合を告白する蓮ちゃんの将来がめちゃくちゃ不安になった。

「大丈夫だよ。今日はきっと、時間があっという間に過ぎると思うよ」
「そうなのか?」
「うん。休日のお昼なんて、戦場……いや、運動会みたいな忙しさだから」

 うちの『山さん』、実は某飲食店情報ウェブサイトの評価★3.3を有するまぁまぁ人気店で、回転率が高いこともあって休日のお昼の時間帯はもう最悪。
 次から次へとやってくる客と注文! 笑顔と大声を強要される「いらっしゃいませ」! 運んでも運んでも永遠かのように続くおにぎりの配膳レース! 疲れとストレスが極限に達した頃にやってくる面倒なお客様への対応! ……などなど、終わる頃にはHPもMPもすっからかんのへろへろぴーなのであります。

「運動会!? めっちゃ楽しそうじゃん!」
「運動会なんて、家族席に隠れていた記憶しかないが……」

 しまった。より蓮ちゃんに恐怖を抱かせてしまった。
 でももう12時だ。外には行列もできている。やるしかないんだよ、蓮ちゃん!

「私は外のお客さんの整理とテーブルの片付け、食券をもらってテーブルに案内する係をするね。2人は、できたおにぎりを『お待たせしました』って運んでくれるだけでOKだよ。お客さんが来たら「いらっしゃいませ!」、帰る時は「ありがとうございました!」って大きな声で言ってね」
「オッケー☆」
「本当にやるのか? やらなきゃダメなのか?」
「終わったら賄いとバイト代が出るから、2時間、なんとか頑張ろう! お金のためと思って、頑張ろ! ね! ね!」

 腰が引けている蓮ちゃんの背中を押して店内に出させる。
さぁ、いざ、戦場へ!

 のれんをくぐると、店内は満席だった。外には行列ができている。ぬるっと回れ右した蓮ちゃんの肩を掴んで止めさせる。

「花氏、この混雑では私の出る幕じゃないと思うのだが」
「あなたの出る幕です!」

 音ちゃんはすでに店内に入り、お客さんと何か話している。

「ほら、音ちゃんを見習って……」
「それバリうまそうじゃーん! ちょっと味見させてよ」
「音ちゃん!!!」

 お客さんから唐揚げをもらおうとしている音ちゃんを光の速さで連れ戻した。

「お客さんは友達じゃないの!!」
「あー、そうだっけ?」

 と言っている間にも、キッチンからは次々とお盆が差し出されてくる。

「はい! これ8番さんよろしくね」
「こっちは4番さん!」

 お盆を2人に持たせて、背中を送り出した。

「これ音ちゃん! 8番はあそこ」
「あーい」
「こっち蓮ちゃん! 4番はあそこ」
「ふぁいっ!」

 心配だなぁ……。
 って、自分もやることやらなきゃ。

 帰っていったテーブルの片付けをして、並んでいるお客さんを入れる。

「「いらっしゃいませー!」」

 音ちゃんは元気に笑顔で言えていて、接客業に適性がばっちりみたい。蓮ちゃんは無言。やばいな……。

 そんな蓮ちゃんに、券売機の前にいたカップルが声をかけた。

「おい、お前」
「……私か?」
「券売機って現金しか使えないの? ペイ〇イは?」

 誠に申し訳ないことに、うちは現金専用の券売機しかない。キャッシュレスの時代に乗り遅れていて本当にごめんと謝るためにそっちに足を向ける。

「は? 日本語が読めないのか? ここにそう書いてあるが?」

 わたしはスライディングでお客さんと蓮ちゃんの間に滑り込んだ。

「すみません!! そうなんですよ!! 遅れててホントすみません!!」
「あとコイツ新人で口の利き方を知らなくて! すみません! ほら、蓮ちゃんも謝って!」
「なぜ私が悪くないのに謝るのだ!」
「いいから!」

 蓮ちゃんの後頭部を無理やり下げさせた。

「別にいいけどさ、現金持ってない時もあるし。対応した方がいいと思うよ」
「私もそう思うぞ、花氏。時代はキャッシュレスだ」

 うっせー!!!

 キリキリしてきた胃をさすりながらもカップルから食券を受け取ってカウンターに案内する。ふと隣を見ると、テーブルに置いてあるスマホがストップウォッチになっていて「09:50」と表示されていた。腕を組んで不機嫌そうなおじさんが座っている。

 え……?

「お待たせしましたー!」

 そこへ音ちゃんがお盆を持って現れた。

「……12分もかかったよ」

 ムスッとしたお客さんの口から刺々しい言葉が流れ出る。
 ヤバイ。めちゃ面倒な客だ。こういう時は謝り倒すに限る!

「申し訳──」
「あ? 混んでんだよ、見りゃわかるっしょ?」

 わたしが笑顔を貼り付けて口を開いた瞬間、音ちゃんがぶちかました。

「なっ……!」
「あーっ! 大変失礼しましたお客様!」

 音ちゃんを突き飛ばしペコペコと頭を下げる。

「ほら謝って!!」

 さっきもやった通り、音ちゃんの後頭部を無理やり下げさせた。

「そっちがケンカ売ってきたんじゃん!」
「いいから!!!」

 もう……勘弁してぇぇぇ!

 そんなこんなで、なんとか地獄の2時間を切り抜けた。店の2階、うちのリビングのテーブルに3人で突っ伏していた。

「つっ……かれた……」
「ウチも。もー無理」
「体力的な疲労はもちろん、精神的な疲労も相当だな」
「わかるー、クソ客いたもんねー」
 
 って。

「2人は本音言っちゃい過ぎ! 駄目だよあんな接客したら!」
「だって、あいつら態度がなっとらんだろ。人のことを『おい、お前』だぞ?」
「そーだよ。混んでるのにわざわざ嫌味言うとかありえんし」

 ぷぅと頬を膨らませる2人は、何もわかっていない。

「でも、お客さんなの。今日わたし達がもらうお給料は、あの人達が食べて払ってくれたお金なんだよ!」
「……!」

 音ちゃんも蓮ちゃんも、ハッと何かに気づいたようだ。

「……だが、そうだとしても、あの態度をされてこちらが謝るなんて、理不尽だ!」
「そうだよ。労働って理不尽なことばかりだよ。だからお金を稼ぐのって大変なの! 疲れてても笑顔で接客しないといけないし、ムカつく奴にも謝らないといけないし!」

 言ってて涙が溢れてくる。過酷な労働の現実が伝わったのか、音ちゃんも蓮ちゃんも顔が真っ青になった。

「ウチ、そんなの我慢できないよ」
「私も無理だ」
「わたしだって嫌だよ……」

 は、働きたくないよぉぉ!
 3人の魂の叫びが天に届いた頃──階段から足音が聞こえてきた。

「はいよ! お疲れさん!」

 お父さんが持つお盆には、ほっかほかのおにぎりが並んでいる。

「わぁっ!」
「突然お願いしちゃってホントにごめんね。でも、おかげで助かったよ! これ、賄い。いっぱい食べて!」
「ありがとうございます!」

 忙しすぎて忘れてたけど、お腹はペコペコ。重かった心はおにぎりの登場で一気に明るさを取り戻す。

「やりぃ! 運んでる時、もうずっとずっと食べたかったんよ!」
「おにぎり屋さんのおにぎり……初体験だ!」
 
 音ちゃんも蓮ちゃんも、目を輝かせておにぎりを手に取った。

「「いっただっきまーす!」」

 ──ぱふっ。
 可愛いらしい効果音がしたあと、2人は目を大きく見開く。

「んん!?」
「うめぇっ!!」

 口に合うかちょっとドキドキしていたけど、問題なさそう!

「ものすごく、ふっかふかだ! なんだこれ!? おにぎりか!?」
「激ウマ! これなら並んで食べたくなるのもわかるわー!」
「具もたっぷり入っていて満足感がすごいぞ!」

 ふふふ。そうでしょう、そうでしょう。
 2人の反応を見て、ついニヤけてきた。

「えへへ、ありがとう。言っておくよ」

 もぐもぐと食べ進めていた蓮ちゃんが、「先ほどは……」と呟いた。

「腹が立ってもう帰ろうかと思ったが、別の食べ終わったお客さんに『ごちそうさま、ありがとね』って言ってもらえたんだ」
「それ、ウチも。『息子がここのおにぎりが大好きなの』って言ってくれるママさんもいたよ」
「あのお客さんと、このバイト後の賄いがあるなら、働いていけるかもしれない」

 おぉっ! 蓮ちゃんがまさかの就職希望!?

「確かに! それくらいウマいよ、これ」
「まぁ、ムカツク客は来ないようにできたら一番いいが」
「それは難しいかも……」

 談笑しながらおにぎりを食べおわった頃、お母さんがやってきて「今日はありがとね」と1人2000円ずつ配ってくれた。

 2000円。嬉しいけど、あんなに辛かったのに2000円かぁ。
 大変さや辛さでお給料が変わったらいいのに。
 社会人は毎日8時間とか働いていて、本当に尊敬する。
 お金を稼ぐのって、大変だ。暮らしていくのって、大変だぁ……。
 しょんぼり。

「次の株だが、コンビニ銀行はどうかな」

 食べ終わった後はリビングを引き上げて、わたしの部屋で当初の目的である次に買う株について会議をすることになった。
 コンビニ銀行は、コンビニのATMの銀行だっけ。

「いくらなの?」
「280円だ」
「えっ、安いじゃん!」
「チャートもいいし、コンビニのATM設置台数も右肩上がり。余剰資金でやるにはちょうどいいと思わないか?」

 ほほえみ証券のアプリでコンビニ銀行について見てみた。
 板の買いと売りの数は同じくらいだけど、チャートは上がってきているように見える。

「これ、前回の高値のラインを超えて上に行ってるね」
「花氏! いい着眼点だ。これはカップウィズハンドルと呼ばれるチャートパターンだと思う」
「カップウィズハンドル?」
「2か月前の高値の後に一度下がって、再び上がって、また下がっているだろう?」

 蓮ちゃんが、チャートを指でなぞる。確かに、下側に弧を描くパターンが2回繰り返されている。

「これが取っ手付きのティーカップに似て見えるから、そう呼ばれている。そしてこの場合、売りたい人がいなくなってあとはもう上昇していくと考えられるチャートパターンなのだ」
「へぇー?」
「こういうチャートならこうなる、っていう公式の数学みたいなのがあるの? それ無敵じゃね?」
 
 音ちゃんの言う通りだ。それなら誰もが成功するのでは?
 蓮ちゃんは「いやー」と頭をかいた。

「本当にそうなるとは限らないからな。上がると思って上がらないこともあるし……そういう傾向が強い、というだけなのだ」
「ふーん」
「花ディアス、どう?」

 2人が緊張した眼差しでわたしを見ている。
 あれ、いつの間にかわたしが決めるみたいな立ち位置に!?

「え、全然いいと思うよ! 安いし!」
「安いから、これを200株買おうと思うのだ!」

 200株!?

「200株買っても460円だろう? コニシミノルデンと同じくらいだ」
「200株買えばー、利益も倍になるんだって! すごくね!?」

 めっちゃニコニコして2人がズイズイと寄ってくる。

「あ……そ、ソウダネ」
「よっしゃー! そんじゃ、指値しとこっ☆」

 あれよあれよとコンビニ銀行を200株指値注文。
 4万6千円の買い物だ。
 なんかまた流された……?



 翌日。いつもの株チェックの時間。
 コニシミノルデンはさらに値を上げ──

「うわっ! +3000円だぞ!」
「ええ……3000円!」
「3000円……!?」

 わたし達は言葉を失った。

 だって、ぽちっとして4日間持っていただけで3000円だよ?
 あの辛く苦しかった2時間よりも高い3000円?
 脳がバグるんだけど。

「働かなくても、お金を動かすだけで、お金って増えるんだ……」

 なんか……すごくショックだ。必死で汗水たらして働いていたのは、なんだったんだろう。お金持ちというのは、余ったお金でポチポチするだけでこんなにサクッと儲けているなんて。
 なんて……なんて、ひどい世界なんだ!

「株、最高じゃん……」

 わたしが衝撃を受けている横で、音ちゃんはヤバイ目をして呟いた。

「お、音ちゃん、大丈夫?」
「へへ……なんか、危険な脳内ヨダレがじゅわっと出てきた……」

 ほんとに大丈夫?

「だがな、もうそろそろ抵抗線に近づいてきた」

 蓮ちゃんがチャートを見ながら顎に手をやる。

「売却も練習してみた方がいいと思うのだ。今回はここで利確をしないか?」
「うん、いいよ!」
「えっ……もっとイケるんじゃない?」
「欲張るのは良くないぞ、音氏! 花氏、現在の指値で売却をしてみてくれ」
「わかった」

 えっと、売り注文、100株、450円、取引暗証番号……。

「こ、これでいいのかな?」
「OKだ」
「ホントに売っちゃうのぉ?」
「売る!」
「えっと、じゃあ……注文!」

 注文画面を確かめると、「約定」と出ている。

「やくてい?って出たよ!」
「やくじょうと読む。取引が完了したってことだ!」

 蓮ちゃんは続けた。

「株取引は買いたい時に売りたい人が、売りたい時に買いたい人がいて初めて成立する。だから、私たちが売った株を今誰かが買ったってことなんだ」

 この画面の向こうに、わたし達が売った株を買ってくれた相手がいるとは。

「へぇ~、なんかそれ、エモいかも」
「うん。大事にしてくれる人だといいね!」
「可愛いらしい発想だな、花氏」

 音ちゃんがお弁当の箱を閉じて、立ち上がる。

「とりあえずさ、初めての利確大成功ってことで、乾杯しよーよ!」
「またマクドル?」
「ううん。いいヤツがあるんだよ!」

 音ちゃんに連れられて行ったのは、購買。自動販売機で普段はなかなか買わない200円もするフルーツジュースを買って、乾杯した。

「株で優雅に儲けたお金で飲むジュースは最高だな!」
「もう汗水流して働かなくてもいいとか、最高☆」

 ちなみに、先日注文したコンビニ銀行は今「+500円」。あっちは利確、こっちも順調。
 今日ばかりは調子に乗った発言をしても、許されるんじゃない?
 よーし、わたしも言っちゃおう!

「株でじゃんじゃん稼いでこー!」

 こうして、順調に思えるチーム「ちいさなかぶ」の株生活だったが──。
 その頃、アメリカでとある銀行が経営破綻していた……。

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