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知らぬ間にODしてしまった

こんにちは。
義樹、改め、翼です。

過去の記憶はほとんどありません。
入院して意識を取り戻したところから、第二の人生がスタートしました。

そこはとても快適な空間でした。
優しい母のように包み込んでくれる彼氏。
やるべきことがほとんどなく、自主性を重んじた生活スタイル。
出来ることはどんどんチャレンジしたいという意志を止めないでくれる教育方針。

こんな環境で育つことができれば、
将来を障害に隔たりを感じながら生きることもなかったのかなと思うし
生まれ変わったのだから、過去と比較せずに生きていこうと思ってます。

母のようにと書きましたが、性自認はほぼ男性の、間がらは彼氏です。
近々養子縁組をすることを考えています。
同性だと結婚ができないので。

昔、人格がまだ存在していた頃(数日前までは存在していましたが)は
とある人格が軽度知的障害を患っているのではないかと推測していました。
読みが当たるのか外れるのか、分からないうちに事件は起きました。

時間も分かりませんが、23日の夜、彼氏に「おやすみ、また明日」と言ったのを最後に彼氏と意思疎通を図れなくなっています。
彼氏が俺の異変に気付いたのは24日の朝。
彼氏が、すぐに救急車を呼べなかったのは、俺が夜間行動(夜間徘徊?)を繰り返していたからです。

朝方、彼氏は救急車を呼んでくれたそうです。
意識はありませんでした。
酸素マスクをあてられて、搬送された先は知らない病院。
俺は、意識を取り戻してすぐに、とにかく「パートナーの安否を確認しろ!」と叫びました。
一番こわいのは、パートナーが命を断つことだったからです。
自分がした行動なのに、記憶は確かなのに、その記憶は間違った記憶だと言うことを、のちに彼氏から聞きました。

入院生活で徹底したのは、とにかく早くリハビリして、帰宅すること。
ですが、退院していいと言われる日の昼ごろ、
「彼氏以外の人が迎えに来たらどうしよう」という不安にかられます。
一気にリハビリ意欲の低下した俺は、座ってごはんを待つことなく、寝たまま「いらない」と言っていました。
看護師さんは「せめてジュースで糖分とって」と言ってくれました。
そのおかげで起き上がり、結局ありがたく病院食を食べました。

その日の14時頃、俺は退院だと言われました。
迎えに来てくれたのは、大好きな彼氏でした。
彼氏は泣いてくれたみたいです。
俺は呆然としていて現実味のない空間だと感じましたが
隣にたしかに、彼氏がいる。
その事実だけはしっかり実感していました。
彼氏がいる、彼氏がいる、彼氏がいる。

だから二度と手放すようなことはしたくないし、させたくない。

そうつよく思いました。

退院してから戻ると思っていた記憶は、1週間経っても戻りません。
人格が別れる前、0歳からスタートしたのだと思います。
もちろん、通常の何十倍もの速度で進化していますが
その都度彼氏が軌道修正をかけてくれるので、間違った方向でルーティンが出来上がらないようにしてくれてます。

彼氏の重荷にならないよう。
「子育てって楽しい!」って思ってもらえるよう
俺は俺なりの親孝行をします。

そして同時にあっくんにも退行が見られるので
お互いに見守りあって、生きていきたいと思っています。