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配信でライブを観る

ギタリスト笹久保伸(敬称略)のライブをオンライン配信で観た。6月に続いて2回目の体験。会場はいずれも代官山の「晴れたら空に豆まいて」だが、前回は緊急事態宣言の解除前だったため観客ゼロでの上演だった。演奏の合間にMCも入ったが、スタッフ数人は同席しているとしても、その場にいない不特定多数のお客さんに向けて話しかけるのはやりにくいというか不思議な感覚だろうなあと思った。ご本人もそのようなことをおっしゃっていた。テレビのスタジオ収録などはあれに近い感じなんだろうか。知らないが。ただ自分にとっては、それまでCDで聴くのみだった笹久保伸がリアルに演奏している姿を初めて観る機会であり、ネットを通じてではあるがライブはいいなあと思ったものだった。

今回、おそらく「ソーシャルディスタンス」というものを保ちながらと思われるが、観客に見守られてのライブとなった(満席だったそうだ)。やっぱり奏者の方はそのほうがやりやすいんだろうか。前回よりもリラックスしているというか、ナチュラルなふうに見えた。

演奏は今回もとてもよい。自分は音楽にかんしてまったくの素人ということもあって、この感慨を表現する言葉の持ち合わせがないが、笹久保伸の演奏姿を観ているのはこころよい。

今回のライブは2部構成になっていて、前半が笹久保伸のソロ、後半が3人のゲストを次々迎えての共演だった。

一人目のゲストが詩人の森川雅美。かつて笹久保伸は詩作に打ち込んでいたことがあり、自作の詩を森川氏に見せたところ、「全然ダメだね」と言われて以来自分で詩を作ることをやめたというエピソードのある人だそうだ。初めて知った方だったが、これもよかった。会場スタッフさえ承知していなかったという突発的な即興詩(?)とギターのコラボだったが、おもしろかった。詩人ってこんなにも全身表現者だったのか、と。

二人目のゲストは、笹久保伸が2週間前に知り合ったばかりというシンガー、ガブリエラ・ベルトラミノだった。普段彼女はギターを弾きながらジャズを歌ったりしているそうで、2月に来日し日本でライブをやっているあいだにコロナが加速してアルゼンチンの空港が閉鎖され、帰れなくなって日本にとどまっていたという。

彼女がこの日のライブに出演することになった経緯やステージ上での二人のやりとりを聞いていて、知らなかったものごとを知ったり、未体験のことを新しく体験したりすることは、それだけ出会いの機会を拡げることなんだ、ということが、いままでよりもチョッピリ深いところで納得できた。ような気がした。

笹久保伸はペルーで3〜4年暮らした経験がある。南米やヨーロッパの各国で演奏活動も展開してきた人なので、ガブリエラ・ベルトラミノと出会ったときに会話ができたし、音楽という共通項でもおそらく話は盛り上がったのだろう。わずか2週間前のその出会いが、観客を迎えての久々(かつ、ツアー初日)のライブでの共演につながったのは、笹久保伸のそのような経緯があったからだろうと想像する。

この二人のコラボもとてもよかった。「よかった」以外に感想の言いようがないのはもどかしいが、ギターはもちろん歌もたいそう聴かせるもので、なにより歌い手もギタリストも楽しそうだった。歌の合間にガブリエラ・ベルトラミノが、思いがけなく延長された日本滞在中に、こんなかたちでステージに立つとは思ってもみなかった、今日のこの機会を得られたことがとてもうれしい、聴いてくれるみなさんに感謝する、というようなことを話していた。

共演者がいるときの笹久保伸の姿も、なんだかとてもよかった。毎日何時間もギターの練習を積んできている人の安定した演奏技術がまずあって、そのうえで笹久保伸の意識は「共演者のいまの意識・心理状態」のほうへ思いっきり重心を投げ出しており、その結果として自身のギター演奏にも、観客にも、スタッフにも、その場のすべてとつながりあって、最高に生かしあっている、ように見えた(気のせいかもしれないが)。

三人目のゲストは、笹久保伸とともに「秩父前衛派」の名で多ジャンルにわたる芸術活動を展開しているサンポーニャ奏者の青木大輔。2歳違いの二人は青木大輔が13歳(ということは笹久保伸が15歳か)のときに知り合って以来の長いつきあいだという。つきあいが長いわりに会話がフレッシュで、なんともいえない味わいを醸し出していた。

アンコールを受けて、最後は笹久保伸、ガブリエラ・ベルトラミノ、青木大輔の3人で1曲。

代官山から遠く離れて住んでいる自分は、今の状況もかんがみると、このライブを観るために会場へ足を運ぶことは難しかっただろう。配信ではあったがリアルタイムでライブを観ることができたのは、なんというかまあ、ありがたいことではあった。

緊急事態宣言下で大勢の人たちがユーチューブその他でライブ配信ということをやり始めたが、なかには観ているのがつらくて途中でやめてしまったものもあった。ひとくくりにして云々言えるわけではないが、やはりカメラや照明や音響のプロがいて、設備も含めた会場のセッティングが「見せる」用に整えられていてようやく「楽しく」観ることができる、という部分はある。今回のライブはその点も行き届いていて、楽しむことができた。

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