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頭蓋オステオパシー149回目

伴侶とともに先生のクリニックへ。施術を伴侶から先におねがいして、自分は持参した本を読んで待機することに。と思っていたら、なぜか今回は先生が施術をしながらやたら話しかけてくるので受け答えをしていたらほとんど読み進まなかった。かつては自分がべらべらしゃべりかけて、先生にうるさがられて「施術に集中できないから黙っていてください」と制されたものだった。だから伴侶の施術時にはしゃべりたいことがあっても発言を控えて読書するか仮眠を取るかにしていた。そういうものだと思っていたが、先生は「(自分が)しゃべりたいときだけしゃべりたい」ということらしい。他人のしゃべりに付き合う気はさらさらない、ということなのだろう。思えば先生はそういう人物であった。そういうものだと受け取っておくしかない。持参した本は科学系統の内容で、専門的なことは右から左だが、ストーリー展開がなかなかおもしろくて、少しでも読み進みたかったが、まあ今回はそういう回だった。

伴侶はこのところまた下肢の痛みを訴えていた。今に始まったことでもないのではないかと思うが、最近急に外反母趾の痛みがひどくなってきたらしい。何年か履いている靴をいつもと同じように履いていても痛むのだという。このごろ歩くときの姿勢の崩れが著しく、隣を歩いていてときどき指摘してしまうが、それも本人によれば外反母趾の痛みを庇うせいなのだという。それを含めて施術で調整していただいた。頭部だけでなく腰のあたりや脚部への施術も織り交ぜていた。施術時間は80〜90分ほど。施術をしながら「今日の伴侶の施術は時間がかかる」とおっしゃっていたとおりだった。施術後、先生から「痛みがやわらぐまでに少し時間はかかる。2〜3日もすればおさまるだろう」と言われたという伴侶は、翌日だったか翌々日だったかに「時間が経ったら痛みがおさまってきた」と話していた。

伴侶の施術が終わって自分の番になった。座位で身体コンディションチェックをしたところ、肩・腕の可動域が顕著に狭まっているという。「年寄り並みに動かない」と先生が驚くほどだった。最近は暴飲暴食もしていないし、体調を崩すようなこともなかったし、筋トレや散歩もできる範囲では日課として続けている。これといって心当たりはなかった。先生からは「座りすぎではないか」と言われた。たしかにこのところデスクワークは多い。仕事以外でもなんとなくPC前に座っていることが多い。指摘を受けるまでもなく、あまり身体に良さそうな生活習慣ではない。とにかく可動域は狭くなっていて、先生が手指やら何やらあっちこっち押したり引いたりするとその部位が痛む。ここまで痛みを伴う施術も久しぶりだ。よほど座りすぎていたのだろう。

今回は電気も溜まっていたようだった。前回は肝臓がやられていた(その影響で肩回りに変な痛みが出ていた)こと以外はこれといって指摘がなかった。そのころと今回とで、生活のようすが大きく変わった覚えもない。なんの影響で電気は溜まったり溜まらなかったりするのか、いまだにわからない。端末を多く使った日は溜まる、とか、そういう実感があれば調整もしやすいが、だいたい同じように生活していても、そのときそのときで電気の溜まり具合が異なり、心がけとして日ごろ何をやればいいのか見当がつかない。まあでも端末から離れる時間を増やしたほうが良さそうな気はする。机に座っているよりも身体を使う時間を増やすのがいいだろう。そのあたりからやってみて、違いを見つけていくしかないだろうか。

伴侶の施術中も眠気に襲われて少し仮眠をとったが、施術が始まってしばらくは痛みを伴う施術が続いて「痛い痛い」と騒いでいたが、それがひとしきりになった後はすぐに眠ってしまい、目が覚めたらあらかた施術は終わっていた。どんな施術を受けたのかほとんど覚えていないが、頭部へのアプローチが多かったのだろうか。施術時間もどれくらいだったのかはっきり覚えていないが60分程度か。

この日はクリニックから車で10分弱くらいの場所に最近オープンした料理屋に食事の予約をしていた。先生は飲む気満々で徒歩通勤してこられたようす。伴侶は運転免許を所持していない。自分が送迎するしかない。以前に地図を見て大体の場所は見当をつけていたが、具体的なところがわからないので、先生にナビをおねがいして現地へ。

メインストリートから少し入った住宅街の中にあるその店は、外観は塀に囲まれたでっかい日本家屋。中へ入っても建物の造りはどこまでも和。廊下や座敷を仕切る建具類は取り外され、または引き込み式になっていて格納されていて、日本庭園を望む座敷の畳の上にテーブルと椅子が置かれている。建物はそれなりに大きいが、厨房から最も近いテーブルに案内された。この時点で「むむむ」と思った。すぐ隣にもう一つ座敷があり、そこにもテーブルがあったし、その部屋と90度の角度で接し向き合う格好の場所にもう一つ座敷があって、おそらくそこもダイニングスペースになっているものと思うが、自分たちが通されたのは厨房に一番近いテーブルだった。それが何を意味するかというと、店側にとっては動線短縮により作業効率を高めることが可能になるということだ。テーブル上の食事の進み具合もチェックしやすい。ひるがえって客側にしてみると、厨房の作業音をまともに聞くことになる。実際食事中、厨房からの音はなかなかの賑やかさだった。また常に厨房から見られている。仮に厨房から離れていても、フロア担当者はしばしば様子を見にくるのだろうし、それは致し方ない部分もあるとは思うが、常に背後から視線を浴びながら(その日のその時間帯、店内にいた客は自分たちだけだった)の食事はなんだか所在ない。加えてフロア担当者の配膳時の所作その他、いろいろ思うところのある時間となった。後になって伴侶と話したところ、伴侶も同様のことを感じていたというから、取り立てて自分だけが過敏であったとも思われない。そもそも完全なフレンチをなぜあえて日本家屋で展開するのか、いまひとつわからなかった。日本家屋であることのメリットは客としては感じなかった。靴を脱ぐことか? それはどちらでもいい。というか靴のまま入れる店のほうが気兼ねがない。畳の上にテーブルを置くなら、フローリングの建物でいいような気もする。そこはしかしまあ店主の自由だが。

3時間かけての食事が終わり会計を済ませて退出すると、さっきまで厨房にいた店主が先回りして玄関前で見送り待機をしておられた。あいさつをして、裏手にある駐車場で車に乗って、もう一度玄関前を通る格好で帰るとき、店主とフロア担当者が並んでまだ見送っておられた。と文字で書くと、丁寧な店じゃないか、と思うだけだが、どうもそう単純なことでもない。・・・まあいいか。

料理はいずれもおいしかった。ただ料理を取り囲むあれこれにいろいろあった。細部まで記さないが、もう一度来ることがあるだろうか、と考えてみると、自分の意思で積極的にあの店を選んで行く機会がこの先にあるかどうかわからない。たとえば先生が「また行きたい」とご所望されるなら「お供します」と応えるくらいのことはあるかもしれないが。

ともあれ先生は上機嫌でしゃべりたいことをしゃべっておられた。次は家族の記念日を祝う席を設けたい、というような希望も話しておられたので、先生に耳寄り情報を提供できたとは言えそうだ。ということで、これはこれでよしとしよう。

食事中の話の中で、少し前に先生から紹介を受けたサプリメントに加えてもう一つ、こちらは人工的なものではなく天然素材をシンプルに加工したものだが、これを併せて摂取するとよい、と情報をいただいた。サイトのアドレスも送ってくださったので、早速オーダー。早ければ摂取開始から3〜4日ほどで体調の変化が確認できるという。楽しみだ。

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