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『愚道一休』(木下昌輝)読了

不勉強な自分は失礼ながら木下昌輝という作家について何も知らなかった。たまたま立ち寄った書店をウロウロしていたとき、なんとなく目に留まって、なんとなく「おもしろいかも」と思い、なんとなく買ったのが氏の著書だった。

「なんとなく目に留まった」のは、ひとつには装丁の力によるのだろうと思う。表紙及び帯にヤラレた。帯には、あのお馴染みのハの字眉毛の髭面、そして、手書きと思われる題字。表紙カバーには「愚昧」「邪淫」「瞋恚」「悪口」「風狂」「破戒」「地獄」などと禅者とはにわかに結びつけがたい熟語が並ぶ。その最後に「愚こそ美なり」とある。あれ? よくよく見ると左上に小さく「禅と業に翻弄された人間の一生を描破する歴史小説!!」って書いてある。これ宣伝コピーやんか。表紙カバーに宣伝コピー入れてるやん。太い帯があるんだから宣伝コピーは帯にデッカク入れたらいいんちゃう? 関西の人に怒られそうな言葉遣いで思ったわけでもないがなんだかそういう気分。まあしかしとにかくこの装丁全体にヤラレた。ページをパラパラやったら出てきた名前は案の定というかなんというか鈴木成一である。やっぱりなあ。うまいよなあ。鈴木成一ご本人によるものなのか、スタッフの作を鈴木成一がディレクションをしたものなのかはわからないが。

それにしても厚い。本文最後のルビは「437」。途中で疲れて投げ出すかもしれない。こんなにページ数が多くなくても挫折した積読本は山のようにある。読み切れるだろうか。購入時にはそのあたりがおぼつかなかった。しかし結果としては読み通した。「おもしろいかも」の予感が的中した格好である。

一休宗純といったら、これはもういかんともしがたく「一休さん」だ。「ポク、ポク、ポク、チーン!」であり「はーい、あわてないあわてない、ひと休みひと休み」である。新右衛門さんであり、さよちゃんであり、母上様である。将軍様に呼び出されて「屏風に描かれた虎をひっとらえてみせよ」と無理難題をふっかけられ、「見事とらえてご覧に入れましょう。されば将軍様、その虎めを屏風から追い出してくだされ」とやるやつだ。

『愚道一休』に少年期のそうした頓知エピソードはひとつも出てこない。将軍様との接触はないし、新右衛門さんもさよちゃんもいない。「一休さん」では、なんらかの事情で母親とともに暮らすことが叶わず寺に預けられている、という程度にしか描かれていなかった(もしくはそれ以上の込み入った事情を自分が咀嚼できなかった)が、『愚道一休』ではこの母上様との関係性が物語の底流をなす。「一休さん」では美しくてはかなげで、たまに現れては一休を優しく慰め励ます、少年一休にとって最大の心のよすが、単にそのような存在であったような気がするが、『愚道一休』ではそうは問屋が卸さない。なんというか、おのれの人生における無念、鬱憤を結果として一休に背負わせているというか、悪気はないんだろうけど息子にとってはなかなかに重荷な母親である。しかし考えてみれば「一休さん」に登場する一休は年端もいかない少年だ。その時代の一休には優しくて、温かくて、美しくて、はかなげで、ちょっと哀しい、そのような母親でしかなかったのかもしれない。

蛇足ながら、大勢いる稚児の一人に過ぎない一休が将軍様にたびたび呼びつけられて頓知合戦を繰り広げていたのも不思議といえば不思議なことで、ただ一休の才能がそれほどまでに京の街に知れ渡っていたんだなあという程度のこととしか思っていなかったが、一休の出自の複雑さというか重さを、仔細に描かないまでもそのあたりで踏み込みすぎない程度にちょっと匂わせていたということなんだろうか。

同作は史実に基づくフィクションという位置づけであり、どこまでが史実か、どこからが創作かは、予備知識をもたない自分には不明だった。その境界が素人にはまったくわからないくらいには虚実が馴染んでこなれている(当たり前か)。書きぶりはどちらかというとドラマチックでエモーショナルというよりも淡々とした静かな印象なので、読んでいて大きく感情がアップダウンするようなこともなく、胸が熱くなったり涙腺を刺激されたりということもない。その静かな語り口の中に、表層からちょっと奥に入ったあたりに潜んでいる登場人物の烈しい情動がピョコピョコ顔を出し、それをつかまえて感情移入するもよし、淡々と読み進むもよし、読者諸氏銘々好みに応じて味わわれたし……という感じで物語は展開していく。全体的にそれほど親切な情景描写はないし、結構カッティングが効いていて、読む者は想像力を求められる。それがギリギリ無理のないところまで描かれているので行間を想像で補う作業も苦にはならない。むしろちょっと愉しい。そのような効果を狙ったのか、それが著者の読者に対して寄せられた信頼のようなものなのか、著者ならではの美学の顕れなのか、どうだろう。漫画のような映画のような、なにかビジュアル表現っぽさを感じさせる文章だった。

臨済宗、という自分の日常にはさほど縁の深くない世界が舞台である。とにかく修行が厳しい、くらいのことしか知らない。背景に南北朝の政権争いがあり、公家やら武家やらの権力抗争がある。貧富の差があり、生まれ落ちた家柄によるいかんともしがたい身分差別がある。寺は権力者の力を借りて社格とでもいうのか、寺としての地位を高めたい。権力者は寺(のみならず、使えるものならなんでも)を利用して自らの勢力を伸ばそうとする。やっていることはいつの時代もそう変わらない。形やしくみが違うだけだ。

アナスタシアの言葉を思い出す。「プライドを捨てなさい」。地位や名誉や権力や金銭などを欲する人間の心を掘り下げていった先で結局プライドに行き着く。差別や嫉妬、有形無形の暴力なども同じこと、戦争などはその最たるものと言えるかもしれない。なるほど考えてみるといろいろ思い当たる。「プライドを捨てなさい」を思い出すとき、いろんな人の言動の背景にあるものが見えてくる。自分がなにかしらの壁に突き当たったり誰かとこじれそうになったりしたときなどに「そうか、やっぱり根っこはプライドだったか」とわが身を顧みることもある。「プライドを捨てなさい」。慧眼だと思う。人間社会に生じる問題ごとはプライドを捨てることによって多くが解消するのではないだろうか。解決するまでもなく、プライドを捨てることができたらその途端に問題自体が消える、そんな気さえする。

ところがそのプライドを、おそらく内側に抱えていないわけではないのだろうが、高度に制御している人たちがいる。ほかでもない一休宗純もその一人なのだろう。少なくとも『愚道一休』ではそのように描かれている(と自分は受け取った)。師である華叟宗曇や、同じ師のもとで学ぶ兄弟子養叟も、プライドを懐にしっかりと収めている人物に見える。一休は養叟に救われ導かれて、華叟宗曇の求める正しい禅、あるべき禅を世に広め後世に伝えようとする。その思いは養叟も同じだ。しかしだからといって現実世界のさまざまな場面に立ち会い、二人が同じように考え同じ判断を下すわけでもない。同一の師に学んでも、受け取り方や表現のしかたは異なる。どちらが正しい、誤り、ということではおそらくない。養叟、一休、それぞれが、養叟、一休としてそう考え判断した、ということに過ぎない。そのように考えるのが養叟であり一休である。それだけなのだろう。

公案をめぐる修行に、このことがシンボリックに浮かび上がる。一つの公案に対して唯一絶対の答えがあるわけではない。一人ひとりの修行者が、公案をいかに受けとめ、腑に落とし、迷いのない答えに行き着くか、ということであって、「正解」を探すようなものではない。難問である公案の答えに辿り着けないからといって、誰かにそれを教えてもらうことも不可能だ。自分「が」どう答えに辿り着くか、という修行なのだろう。だからこそなのだろう、公案の内容も、それに対する解も、公案をめぐる師と弟子とのやりとりも、基本的に他言無用なのだという。師や兄弟子が、若い修行僧がどんなに苦悶しようが決して答えを明かさないのも、そういう成り立ちだからであり、自ら答えを探すプロセスこそが修行であるからなのだ。すごいシステムだと思う。いやじつは、本来学びというものがそういうものなのかもしれない。学校教育に飼い慣らされてしまったから「すごい」と思うだけなのかもしれない。学校の授業で与えられる問題にはたいがい1つの正解がある。例外が認められない問題がほとんどだ。たった1つの正解に、速く、精度高く辿り着けることが学校では評価される。相対的な評価をされる集団の中で少しでも自分に有利な環境を目指して競争が展開する。他人を蹴落としてでも自分が上へ行きたい、という発想になる。それがそのまま社会活動(おもに経済活動)にも引き継がれていく。不毛である。

ならばそのプライドをうまく治めた養叟や一休は平穏に暮らせるのかというと、そうはならない。考え方の違いが対立や衝突を生む。「世間」の理解が得られない場面も数知れない。意志の強さ、迷いのなさが問われる。自身の信じるものを広め伝えるためにも無数の公案と向き合い、胸を掻きむしりのたうちまわりながら自分だけの答えに辿り着くという経験を積み上げなければならない。精神面だけの苦行ではない。物理的に満身創痍となる。揺るぎない意志が確立されたとき、身体の痛みすら感じない境地にも手が届く。

一休が印可を与えた在家の弟子山名宗全などはまさしく激烈な意志をもって身体の痛みを克服していた。しかし向かうべき方向を誤っていた。そのことは師である一休の痛みとなる。独自の修行スタイルを確立し一般大衆に厚く支持されるに至った一休だが、ほかならぬ自らの弟子宗全を正しく導くことが叶わなかった。完全なるものなどない、とも読めるし、未完であることをありのままに引き受ける一休の潔さ、とも映る。

潔さ、といえば地獄太夫と向き合う一休の姿にもそれが見える。自分にとっての師は誰か。多くの僧侶が寺の格式や規模、世間体のよさ、政権とのパイプの強さなどを頼みに、自分の将来に有利にはたらきそうな縁にすがる。五山十刹と称された寺(に属する僧侶たち)の荒廃ぶりを嫌というほど見せつけられてきた一休は、世間的な通りのよさなど、はなから眼中にもない。だから躊躇なく地獄太夫を自らの師と見定めることができる。

作中に描かれる一休の姿は「愚直」とすら言いたくなるような純粋なまっすぐさをたたえている。そういう一休だから、師である華叟宗曇の築きあげた禅の世界を真っ向から否定するかのような、そして権力の傘の下に自ら入ろうとする兄弟子養叟の振る舞いを許容できなくなる。一休はあれほど慕ってきた養叟に絶望する。手ひどいやり方で養叟を罵倒し非難する。そういう一休に養叟もまた絶望する。

母親や、自らの出自をめぐるさまざまな体験を経て、やがて一休は養叟の真意を理解する。養叟は養叟のやり方で、正しい禅を、師の教えを広め伝えるための苦渋の選択をしてきたのだと気づく。真正面から正しさを主張するだけでは受け容れられないものもある。大衆が受容しやすい形で発信しなければ、大切なものも行き場をなくし廃れてしまう。それを回避するためなら、信じる道を貫くためなら、手段を選ばない、という判断も成り立ちうる。キリストの絵を踏んででも信仰に生きようとする隠れキリシタンのようなものだろうか。また、なにか一つのことに囚われると全体を見失う。全体を見失ったとき判断の誤りは起こりやすい。宗全は大幅にわかりやすく誤ったが、一休ほどのまっすぐな思いをもって修行に明け暮れても、視界が狭まったとき誤ることがある。ただし師の教えを広め伝えることへの揺るぎない覚悟がある一休は体験によって自身の誤りに自ら気づくことができた。こうした過程を経つつ、一休は兄弟子養叟が言い当てた「風狂」の道を邁進していく。振り返れば、兄弟子養叟は一休にとってどこまでも、いつまでも兄弟子だった。考え方が異なるからといって関係が保てないわけではない。それぞれの考え方を曲げることなく「ともにある」ことは可能なのだろう。ただし、そのためには各々の精神的自立が欠かせない。適度な対人距離を保つことも大切だろう。身に起こることをすべてありのままに受容する強さ(それは広さとも言えるかもしれないし、柔らかさとも言えそうだ)も求められる。

一休は自身の血を呪ったことがあるだろうか? 呪いたくなったとしても致し方ない状況がそこにはあったと思う。望んで帝の落胤と生まれたわけではない。にもかかわらずその血によって甘えたい盛りの幼少期には母親と引き裂かれ、長じては権力争いの具とされる。自らの存在を利用しようとする黒いものに巻き込まれそうになる。出家して修行の道を歩まされること自体、一休が自発的に望んだわけでもないだろう。それでも一休は運命を受け容れ、一面愚直ながらも文字どおり懸命に生きた。そうした生き方もまた潔いという言葉が似合う。ちょっと厚かましく踏み込んでいえば、出自から否応なく与えられたその血が一休宗純という生を輝かせたとすら見たっていいかもしれない。500〜600年という時を隔てて多くの日本人がその名を記憶に刻んでいる。さらには中国ほか異国の地にもアニメ「一休さん」視聴によってその存在を知った一休ファンがいるらしい。時代は15世紀であり、生きる世界も異なるが、感じること、学べそうなことはさまざまにある。エンターテインメントとしておもしろい作品だっただけでなく、たくさんのことを考える機会をくれた意味でも、自分にとっていい本だった。

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