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気魄

久しぶりに車で15分くらいのところにある料理屋さんへ。

オープンから2年ほどのお店。もとは県外の超人気店だったそうだ。もとの所在地では、このお店が引っ越してから「ロス」の人々が大勢現れたという。聞いただけで凄まじい感じが漂うその人気店が、たまたまの流れで自分が住んでいるところの隣町に移転オープンしたのだった。

それを自分は知らずに、遠来の知り合いの方から教えていただいて訪ねてみた。

初めて行ったとき、テーブルが1つ空いていて、すぐに座ることができた。しかし後になって分かったことだが、ランチの時間帯は予約するか、順番待ちをするかしないと、ほぼ座れることはない。お店に滞在して、食事をしているあいだに、何度も予約の電話がかかってくるのを聞くともなく聞いていると、予約可能な1カ月先までがほとんど埋まっていて、予約さえもままならないようすだった。

料理は伝え聞いていたとおりにおいしかった。フレッシュな野菜がふんだんに使われていて、いずれもゼロから丁寧に味付け・調理をされていることがうかがえる。ボリュームも満足。すっかり気に入って、何度か足を運んだ。自分たちは時間の融通がきくので、予約なしでも座れるように、ランチの時間帯をちょっと外して。

コロナのもろもろがあって、しばらく外食もしづらく、ここ数カ月は訪れる機会がなかった。しかし「桃のパフェ」が登場したと風の便りに聞いて、これは行かねばなるまいと意を決した。

ラストオーダーとなる16:00に店に到着。ギリギリの滑り込みで入ってみると、カウンターで一人、すでに飲食を終えて本を読んでいる男性客一人がいるほかは空席だった。予約も取れないほど混雑するのはおもにランチであって、それに続く夕方までのティータイムはさほどでもない。席に着いたら「お食事ですか、お茶ですか」と聞かれたところをみると、食材が残ってさえいれば、時間をずらすことで食事もゆっくりできる。

本を読んでいる先客のテーブルに、ワイングラスのようなガラスの器があった。先客も桃パフェ狙いだったようだ。自分もすかさず桃パフェをオーダー。加えてケーキを2種。桃ゼリーが載ったレアチーズと、ブルーベリーのバターケーキ。3点を同行者とシェア。

先にケーキ2種が出てきた。いずれも見た目からしておいしそう。特に桃ゼリーのレアチーズはゼリーのクリスタル感、そこに封じ込められた桃のたっぷり感、そしてそのゼリーのほどよい厚みに非常にそそられた。

ケーキ2種を味わっているあいだに、何度か店に電話がかかってきた。一度目は例によって予約の電話。二度目に鳴った電話に、店主さんは出なかった。かなり長いこと呼び出し音は鳴り続けていた。しかし店主さんは出なかった。

まずそこに、気合を感じた。

パフェには2種類のアイスクリーム(1つはソルベと呼ぶべきものだが)が入る。おそらく電話が鳴ったとき、アイスクリーム絡みの盛り付けが進んでいたものと思う。供するタイミングを逃してはならない、と店主さんは判断されたのだろう。今電話に出て応対していたら、パフェのおいしさが目減りする、と。カウンター越しの厨房のようすは、こちらからは見えない。でもなぜだろう、きっとそのような状況と考えなのだろうということが伝わってくる。

ケーキを食べ終えるか否かというころ、本日の真打ち、桃パフェが登場。

ツヤツヤの美しい黄桃がザクザクにモリモリに盛り付けられている。裏の畑から摘んできたものであろうミント、そしてアーモンドとクルミがそっと添えられている。ふんわりクリームの下には黄桃のソルベ。さらにその下にヨーグルトアイス。ベース部分を自家製グラノーラとナッツが固めている。全体に桃のソースがかかっている。

と、食べてから数日が過ぎた今になっても、この程度には細部を思い出せるくらい、うまく言えないが、なんというか、輪郭のハッキリした佇まいをした桃パフェだった。

同行者も自分もすでにケーキを1つずつ平らげていた。桃パフェはシェア、という体裁だった。しかし同行者に断りもなく、桃パフェを一人で食べきってしまった。このお店のパフェには物語のようなものを感じるのだ。最初のひとさじを味わったら、もう全部食べ尽くさせずにはおかないのだ。起承転結をまっとうするしかないのだ。

というのは言い訳だが、この桃パフェには、生のままで味わえばパーフェクトなおいしさをあらかじめたたえている黄桃を、手を加えることによって必ずやそのポテンシャルを遺憾なく引き出してみせる、生で食べるより何倍もおいしくその黄桃の魅力を食べる人に届けてみせる、という「気合」を超えた「気魄」ともいうべきものを感じる。その気魄に取り憑かれて、途中で同行者に「ひと口、どう?」と声をかける余裕を失ってしまう。と、これも言い訳だが。

なにしろ、単に「おいしい」と言っただけでは言い損じてしまうような「なにか」が伝わってくる桃パフェだった。

事は桃パフェに限らない。このお店で提供されるすべての料理、デザート、ドリンクに、そういう料理人スピリットが山盛りに詰まっている。しかもそれが食べる者に変なプレッシャーを与えない。ほかにうまい表現が見つからないので、言いうる言葉で言わせていただけば、上質なホスピタリティが供される食べ物・飲み物の背後にあって、作り手の気配はすっかり潜みながらも絶対的な存在感を醸し出している、そういう店なのだ。

パフェを作る最中の店主さんが二度目の電話に出なかった、そのこともひとつの遠因となって、このような感慨が食べた後に残る。

桃パフェが感動的においしかった。それが言いたいだけだった。言おうと思ったらこんなに長くなってしまった。食べた人間からこんなにも、それまでこの世になかった言葉の連なりを引き出してしまうくらいには、高いエネルギーを秘めた桃パフェなのだった。

そんな求道的とさえ呼びたくなるようなパフェを食べられるお店が、わずか車で15分ほどの場所にあることの僥倖よ。



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