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戦争が起こらないために必要なこと

広島の原爆ドームが、ユネスコに登録されることを試みるというニュースが流れていた。

11月初旬、広島を観光していて気づいたことがある。
それはもう、良いことなのか、そうではないのかわからないけれど、
見ないでおこうと思えば、原爆ドームや資料館、平和記念公園の周辺をのぞけば、半世紀以上も前の爪痕など、まったく見ずに済む。ということだ。

旅行前に、お友達と会う機会ができた。私がSF好きなことを知っているそのお友達は、広島行きを告げると「中工場」という清掃工場のことを教えてくれた。

この樹の下で読書してみたい!

旅程に組み込み、訪れてみた。
とてもカッコよく、ワクワクした。

広島ではフィルムコミッションも盛んである。と、旅の途中で手にした地方のフリー冊子にも書かれていたけれど、確かにSF映像の撮影に使われそうな大きな施設だ。

この空間の、この樹木の下にもし、椅子があったら。
机と椅子が並べてあり、カフェだったら。
読書に最適だろう、などと想像するだけで、気分が良くなる。

人気がなく、贅沢な空間
毎週出す、あのゴミ袋たちの行方
設備について項目立てされ、説明がある



大きな音を出すであろう機械たちだらけの場所だったのに、中工場はなぜか、とても静かであった印象だ。

この場所を設計した谷口吉生という建築家さんは、上野美術館の一番奥の、隠れ家のような場所も手がけた人で。そこには小さな仏様が、たくさん飾られている。法隆寺宝物館という名前だ。こちらは何度か見たことがある。

この、ゴミを扱う。その場所が、
静謐な、「宝物を扱う場所」を作った人が、同じようにていねいに洗練した、その場所は。なんだか、それ以上に。とてもきれいだった。

御魂(みたま)がおさまる場所といっては、大げさだけれど。

予定を詰め込んでしまったので、すぐに出なくてはいけなかった。そうでなければ、一日中でも、ずっと居ついて過ごしたくなる。そんな空間だった。

未見だった『ドライブ・マイ・カー』のロケ地とも聞いたので、チェックする。さすが村上春樹原作、冒頭から作品を見るための心得とばかりの踏み絵シーン。これが大人枠すぎたので、こども達と中工場の追体験ができず残念だった。映画に工場が映る箇所は、全体のなかで建物の存在と説明が物語と溶け込んだとてもいいシーンになっていて、中工場をこういった形で見れたことには満足した。

それで、前置きが長くなってしまったのだけれど。
お友達の話をしたかったのだった。

広島に行くという話をした時、彼女は中工場のことを教えてくれた。資料館周辺も見に行くことを伝えると、安心させるように「原爆ドームの周辺も見たけれど、悲しい雰囲気とかはもう、あまりなくて、とてもきれいなところだったよ。」と話してくれた。

それは旅行前だった10月の終わりで、ちょうどパレスチナとイスラエルが再加熱したとニュースで毎日聞いていた時期。今でもそうだけれど、見ようとしなくても、世界のどうにもならなさを痛感する動画が、いくらでも目に入ってくる。

ロシアやウクライナにつづいて世界が傾いてきた不安について、私が口にすると、彼女が言った。

「ひどいことなんて、何も起こっていないよ。」

とても明るくて、自信に満ちた声だった。

この、彼女の圧倒的な何かを、どう伝えるかはむずかしい。そのとき心から絶句してしまった私に、彼女は話し続けた。

「私たちはいま、こんなに幸せで楽しいのに、遠い国の悲しい事なんて見ることはないよ。こんなに幸せなことをきちんと見ないで、悲しいことばかりを見ているからみんな、嫌な気持ちになって、争いが起こりだすんだよ。」

終わりの方はトーンが落とされ、自分のことではない遠い世界の出来事を見ながら、ニュースに右往左往する私のような人間を、彼女は本当に理解できないと困惑するでもなく、距離を置くでもなく、わからない人もいるよね。というようにこころもち、嘆息する風にも見えた。

こう書くと、彼女が、常識的な世界のニュースを身につけず、自分の身の回りが幸せであればいいと日々を過ごしている心無い人ではないかと変な疑いを持たれてしまうかもしれない。

基本的にいいことしか見ない、言わない彼女は、親しい友人から、ポジティヴモンスターというあだ名で呼ばれることもある。

説明は比較的、簡単であると思う。ただ少し、理解が難しい。

不安遺伝子の優性な日本では、自然と世界の悲しいことを手にとって集め、途方のなさに心や手をを向けてきた人は、多いのではないかと思うから。彼女の滅法明るく正しい確信は、その気持ちのやり切れなさを無碍に両断されてしまった気分を醸成もするのだ。

彼女の話をしたとき、私が話の順番を間違えてしまったためか、
「そういう考え方の人もいる。無責任な人もなかにはいるのが世の中だよ」みたいな言い方をした人がいたので、

「そうではないんだよな」と話すこといなった。
世界に対して、無責任である、ということでもなくて。


ちょっと長くなったので、
彼女については、また、書く。










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