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今向いている方が、前なんだ。

『今向いている方が、前なんだ。』

広島を訪れた際、観光案内所で見かけたポスターでテレビドラマ「この世界の片隅に」のキャッチコピー。

広島での、“紙の本を読む人たち”との定期的な交流は、互いに壊しあって、互いに築きあって、

この世界の正鵠を射る方向へ、誰もが矢となって飛んでいることを実感します。

今向いている方が、前なんだ。


呉まで足を伸ばしました。

呉は、現在も海上自衛隊基地として、またかつて造船産業が盛んな所でした。



明治期の日本は、近代国家として西欧列強と渡り合うための海防力を備える必要から、横須賀・呉・佐世保・舞鶴の天然の良港四ヵ所に鎮守府を置き、海軍工廠(造船所・軍需工場)を備えました。

当時の遺構を残す呉を歩いてみると…

大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)には、10分の1に再現された史上最大最強の戦艦「大和」、人間魚雷「回天」、零式艦上戦闘機が展示されています。

天を回らし戦況を逆転すると名づけられた「回天」は、全長15メートル胴体直径1メートルの、菊水の紋章(楠木正成の紋章)をつけた特攻兵器です。

学徒出陣した搭乗員塚本太郎さんの、回天で出撃する前の2分半の肉声テープと遺書が残されています。
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「僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ…

しかし僕はこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ…」
   ー塚本さん遺書から抜粋ー
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多くの若者の無念と誇りを、あまりにも想像できないけれども、そこに思いを馳せて手を合わせて、力の元にしたい。

その他にも、多くの人物たちと遺書が展示されており、時空を超えて若者たちが呼びかけてきます。

回天

零式艦上戦闘機


てつのくじら館は、海上自衛隊の16年前まで使われていた本物の潜水艦で、その本物の中を見学でき、潜水艦の中の気圧は飛行機と同じぐらいと、海上自衛隊の職員の方からいろいろお聞きし、精密機器が壁一面、そしてこじんまりした居住空間、映画でしか観たことのない世界に、史実に触れた感じがしました。



戦後は日本海近海に落とされた機雷一万発余を除去する掃海という仕事、航路の安全上においても、海上自衛隊が粛々と担ってきています。



そして、呉湾 艦船クルーズも体験、船オープンデッキから間近に見る護衛艦や補給船や潜水艦など、

大樹を仰ぎ見るような感覚、人間の力の結集した巨大な艦船、そこに歴史と今を見て、この船が明るい未来へ船出するのを願わずにはいられませんでした。


潜水艦については、日本に現在20隻、呉に12隻、横須賀に8隻。現在も、国土を守り危険なものを取り除くため、潜水艦が海深く潜航していることを、はじめて知りました。



呉は、明治に呉海軍鎮守府となり、

旧呉海軍鎮守府司令長官官舎が、入船山記念館として残されています。



来賓を迎える部屋の壁紙「金唐紙」が、草花を浮き上がらせて黄金色に輝いています。

金唐紙とは、広島の伝統工芸品で、金箔を貼った和紙に凹凸をつけ、上からニスを塗って金色に仕上げた加工紙です。

実際、部屋には入れませんでしたが、心が黄金色に染まり、日本文化を深く味わいました。



入船山記念館(旧呉海軍鎮守府司令長官官舎)近くですが目立たない所に、大きな石碑が立っていて、そこに刻まれていた碑文、


『萬古清風(ばんこせいふう)』

清風は、私たち一人ひとりの、時間と空間を超えた無限のいのち、

私はその碑文をそう読み、おそらく武士・軍人だけではなく日本人に普遍的にあった命の捉え方として「魂」を思い、形あるものが無くなってもそこに絶えない霊性を思いました。



入船山記念館で、思いがけなく
東郷平八郎の書を拝しました。

「居安思危 處治思亂」
(平安な中でも危険を思い、
治まる處にも亂(乱)を思う)

日露戦争で艦隊司令長官として指揮をとり、日本海海戦で完勝し日本を勝利に導いた胆力の人、まさに清風、霊性の人です。

その筆跡に、生死を常に身近にしながら、そこを超えていく清冽さを感じます。

東郷平八郎は参謀長時代、二年弱、呉で任務についていて、住まいの一部が現在も残されています。


入船山記念館から歴史が見える丘へ歩き、

丘に登り見渡すと、戦艦大和を造ったドッグが眼下に。

80年ほど前、

神風を願うが如く、大和がここで造られ、勇猛な祈りとなって目的に向かっていった大和。

願いと祈りは届かなかった…

その最大最強の不沈艦大和を造った日本の粋を集めた造船技術は、時代とともに更に磨かれ、戦後10年で世界一の造船大国になり、戦後復興の日本の経済を大きく推し進めました。

近年、呉でも最大手の日本製鉄呉製鉄所が閉鎖され、多くの人口が呉から流出、

造船産業が盛んだった町も、海上自衛隊を残し、どんどん火が消えてゆき、あちこちに立ち登っていた製鉄所の白い水蒸気も、もう見えない。

時代が変わりすっかり様変わりした呉、

目に見えるところは変わっても、目に見えない歴史の彼方から流れてきている士風や気質は絶えてはいないだろう。

自分に嘘をつかない・恥ずかしいことはしないの士風(武士や軍人の心のもち方)と、
自分を誤魔化さない・恥ずかしい仕事はしないの気質(日本人の職人気質)、

自分に厳しく、仕事に責任をもつ、その勤勉さと名を惜しむ気概が日本人。

呉に今も流れているその気概を、私たちもまた受け継いで行こう。


『萬古清風(ばんこせいふう)』

清風とは、形あるものが無くなってもそこに絶えない霊性、心と体を超えた魂。

そしてまた、呉をはじめ日本全体で培われてきた士風と気質でもある。

呉は、萬古清風。


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