フラジールについて

何が言いたいのかあまりまとまらない文になっています!ご了承ください!!

 フラジールを愛してくれているひとは結構多くいると認識している筆者ですが、これ、実は非常に嬉しいことなんです。3年ほど前から自分の気持ちに関する曲を書かなくなりましたが、「フラジール」は、それ以来おそらく唯一、自分の考えていることを書いた曲です。

 わたしの思っているように伝わっているんだろうか、と気になって、どんな気持ちで書いたのか、すこしお話ししようと思いました。
 でも同時に、べつにどんな解釈があっても幸せだなと思います。あなたの心が、わたしの曲で動くなら、嬉しいです。なので、自分なりの解釈を大切にしたい人は、そっとこのページを閉じてくださいね。

 でもちょっとでも知りたいと思う人は読んでみてくださいね。たぶん、悪い気分にはならないと思います。たぶん。

人生における出会いと別れの大きさ

 生きていると、本当にいろんな人に出会いますよね。そして出会うということは必然的に、別れる時がやってくる。それってすごく、「有限」だなあと思うんですが、みなさんどうでしょう。出会った人の数だけ、別れを経験する人生、なんとも儚いなあと、よく考えています。

 出会った「誰か」の影響で何かを始めたり、何かをやめたり、どこかに行ったり、聞いたり、見たり、感じたり思ったり、欲が出たり、そういうことが絶対にあるんですよ。人生には。すごく当たり前のことですが、決して自分だけで進んでいくものじゃないと、いつも思う。
 そして、「誰か」と別れた影響で始まる何かも、あるんです。例えば失恋したら悲しい気持ちや後悔が始まるし、転校という名の別れなら新生活が始まる。何が言いたいかっていうと、出会いと別れが人生に与える影響って、すごく大きいよねっていうこと。

 わたしの場合、父に出会っていなければ、歌を好きにならなかったと思います。母が母じゃなければ、ファッションの楽しさを知らないでいると思う。小学六年生のときの担任の先生があの人じゃなければ、今でも集う仲間なんてできなかったと思うし、flat soda(高校の軽音部で組んでいたバンド)のメンバーに出会っていなかったら、高校を辞めていたかもしれません。

 もう既に出会っている人たちと出会えなかった人生のことを考えると、恐ろしくてたまりません。わたしは人に恵まれている、と深く感じます。

 でもそれでもね、だからこそ、なのかな、出会いと別れに関することで、心を痛める出来事もあるわけです。フラジールって、わたしの中でそういうことなの。こわれもの、儚い、繊細、そういう意味がある単語です。


わたしの中の忘れられない別れ

 中学生のときのわたし、すごく病んでました。恥ずかしいくらい病んでました。本当にいろいろなことがあったんですよね。ここに具体的には書かないけど、人生初の挫折のようなものを経験したんです。

 そして中学生のときのわたし、だれよりも尊敬している人がいました。田中さんとでも名付けましょうか。全然田中じゃなかったけど。

 田中さんは、わたしの全てに頷いてくれる人でした。肯定も否定もせず、一度認めるんです。非常に病んでいたあのときのわたしが欲していたのは、慰めでもなんでもなく、きっとそれだったんだと思います。

 田中さんは男性でしたが、べつに恋愛感情を持っていたわけではないんです。おそらく憧れていました。その寛大で美しい心を持っていることに。憧れると同時にすごく信頼しました。


 「その時」は本当に突然、いきなり訪れました。
 田中さんは、わたしの周囲から「消えてしまった」んです。

 もう会えない、話せないと本当の意味で理解するまでには時間がかかりました。そして理解してしまった後、それはそれは大変でした。

 信頼している人が自分から離れていってしまうことの恐怖、トラウマから、新しい友人関係を築くことを拒むようになりました。この癖は、今でも残ったままです。
 とはいえ、誰とも話さないとか、そういうことではなく、自分のテリトリー内に侵入しようとしてくれる人が現れても、全部跳ね返す。意識的に距離を取るんです。
 誰にでも同じように普通に楽しく接するけど、誰に対しても壁を作る。そんなふうにして、別れから身を守ってきました。そもそも深く出会わなければいいと思っていました。でもそれは、長くは続かないです。うまくいきません。「冷たいね」と言われることがどんどん増えて、群がる人々の「外側」で生活する日々が続きました。

 孤独は楽だけど、楽しくはない。ずっとそう思っていました。でも、踏み出す勇気はないんです。あの日のようにまた、別れの残酷さを深く味わってしまうのが嫌だったから。

たとえ息が止まっても
わたしの前からあなたが消えても
相変わらず地球は回るし、
明日が来て普通の顔をする

椿井紗代「フラジール」より

 この歌詞は、田中さんがいなくなったときからずっと、平気なふりをして生きてきた自分が思っていたことです。田中さんがいなくなって3年、わたしは、本当に辛いと感じていた気持ちをフラジールの中でしか溢してきませんでした。溢せませんでした。

 人を拒絶する弱い自分が恥ずかしくて、痛くて、馬鹿にされるのも怖くて、誰にも言えないまま、悩み続けていました。その中で生まれたのが、フラジールだったんです。


今のわたしが思うこと

 なんか、誰にも悩みを打ち明けられずにずっと病んでた人、という印象ですよね、今のところ。でもね、最近周りの人に話せるようになってきてるんです。だからこうして、ここにも残せてるし。
 そして今のわたしには、3年前のわたしが尊敬していた田中さんより、頼りにしている人がいます。これね、すごい難しいんだよね。その人への愛が深い分、そりゃ相も変わらず離れていくことへの大きすぎる恐怖は感じ続けています。
 でも、そんな今のわたしだからこそ、孤独の中で発信していた自分の辛さを解放するためだけのフラジールよりも、もっと意味のあるフラジールが届けられるんじゃないかって思っているんです。

誰もが出会う 
たったひとりの誰かと巡るサヨナラの時を
「いつかまた」なんて叶いもしない約束がずっと心を縛っていた

椿井紗代「フラジール」より

 今、フラジールを受け取るあなたたちの周りに、大切にしたい人はいますか。好きな人、家族友達、なんでもいいです。誰か、失いたくないと強く思う人はいますか。
 そんな人との約束、「いつか」と言ってそれが叶えられなくなるその前に、必ず愛を伝えましょう。サヨナラのときは突然に、必然に巡ってきます。そんなときが来る前にちゃんと伝えれば、きっとあなたの大切なその誰かは、受け止めてくれます。
 誰もが、自分にとってたった1人だと思える相手に出会えることを、心のどこかで望んでいると思います。そしてそんな世の中で、大切だと思える人がもう既に周りにいること、そしてその人たちが今生きているということ、それは素晴らしいことです。

 人の悪口や文句を言う暇があったら、それを愛や感謝に変えてください。周りにいる今大切な人への愛に、未だ出会っていないこれから大切にしていく人への愛に、取っておいてください。言葉は人を泣かせます。使い方次第です。


 なんか終わり方がわからなくなってしまいました。笑
 でも言いたいことはきっとただひとつ。

 出会いが人に与える影響は大きい。だからこそ、自分と出会ってくれた誰かが、それをきっかけに少しでも幸せな気持ちになってくれるような人間になろうと思う。そんな気持ちで、これからもフラジールを歌います。

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