ドクターペッパー警部




「イミフなダイイングメッセージ・問題編」



 私は警視庁捜査一課の警部、毒島太郎(ぶすじまたろう)というものだ。部下や同僚からは「ドクターペッパー警部」と呼ばれている。しかし実のところ、私自身はウーロン茶が好きだ。あの薬っぽい味わいの炭酸飲料はどうにも好きになれない。

「ドクターペッパー警部! お疲れ様です!」

 先発していた機動隊の小浦湊(こうらみなと)が勢い良く敬礼した。

「殺しか」
「ハイ! 被害者はこの部屋の住民、山田富子23歳! 正面から腹部をめった刺しです!」
「酷いな。現場は部屋の中央か」
「ハイ! 間違いなく顔見知りの犯行と見て捜査中です!」
「お前は昇進したら『コーラ警部』と呼ばれるのだろうか」
「……は、はい? 今、なんと……?」
「いや、なんでもない。目撃者はいないのか」
「ハイ! 目下捜査中であります!」

 殺害現場には大きな血だまりが作られ、被害者はその上で苦悶の表情を浮かべて眠っていた。生前はきっと美しい女性だったのだろう。全く惨いことをするものだ。

 現場の血痕を見る限り、女性が殺されたのはこの部屋と見て間違いない。死体を動かしたような痕跡が見当たらないからだ。つまり、被害者は犯人を部屋まで招き入れたのかもしれない。顔見知りの相手による犯行。その線で捜査を進めるべきだろう。

 私は静かに手を合わせると、ひとつの異変に気づいた。

「お、おい小浦!」
「ハイ! なんでありますか!?」
「これは『ダイイングメッセージ』じゃないか!」
「ハイ! そうであります!」
「なんと書いてあるんだ……。被害者は何を残そうとしたんだ?」
「ハイ! 現状ではさっぱり不明です!」
「細工された形跡はあるのか?」
「ハイ! 鑑識曰く、細工はされていない、とのことです!」

 最後の力を振り絞ったのだろう。被害者は自らの血を使い、床に『血文字』を書いていた。ダイイングメッセージなんて犯人に消されてしまうのが常だが、これは奇跡的に現場に残っていた。

『2524 ch5』

 この文字が床に残されている。

「なんだこれは……。『ch5』……チャンネル5? テレ朝でも観ろというのか……? 2524とは、西暦を示しているのだろうか……。随分と、未来の番組を観たいと願ったものだな。おい小浦!」
「ハイ! 何でありますか!?」
「被害者の職業はなんだ」
「ハイ! 被害者は電機メーカーに勤めるエンジニアであります!主にノートPCの開発に関わっていたようです!」
「そうか。ちょっと喉が渇いたな……」

 懐から炭酸飲料を取り出す私を見て、小浦が惚れ惚れしたように言った。

「あっ、それは警部おなじみのドクターペッパーではありませんか。本当に警部はいつもドクペを飲んでいるんですねぇ。警部が現場でドクペを飲む時は、自慢の推理が炸裂して事件を電撃解決してしまう時だとか。これは楽しみであります!」
「そうだ。なにせ周囲は飲め飲めとうるさいんだ」
「私も警部を見習って、集中する時はコーラを飲んでおります!」
「お前は期待を裏切らないな」

 ドクペの薬品臭いシュワワを喉に流しこみながら、改めて小浦に尋ねた。

「今のところ、容疑者として上がってきている人物はいるか?」
「ハイ! どうやら容疑者は恋多き女性だったそうで、4人の男性が捜査線上に上がってきております。全員アリバイがございません。なぜアリバイがないのか、私にもわかりません」
「いいから先を続けろ」
「ハイ! まず1人目は会社の上司である戸島太一(とじまたいち)という男ですね。40歳を超えた妻子持ちの男性なのですが、被害者とは不倫関係にあったそうです」
「ふむ、次」
「2人目は学生からの付き合いである菊池伸晃(きくちのぶてる)という男です。被害者の中では本命のカレシだったらしく、商社マンというエリートです」
「ふむ、次」
「3人目はピザの配達人である中垣内蓮(なかがいちれん)という20歳の大学生です。どうやらピザの配達で知り合ったそうですね」
「ふむ、次」
「4人目は近隣の高校に通う小池直道(こいけなおみち)という16歳の少年です」
「おい、随分と若いな」
「どうやら被害者は幅広い年代をこよなく好んでおり、おまけに面食いだったようですね。どの男もムカツクぐらいのイケメンであります!」

 私はドクペを流しこみながら、被害者の顔をじっと見つめた。 生前の姿はわからないが、恐らく男を手玉にとる魔性の女だったのだろう。その中の1人が凶行に走ったのだ。

「ドクターペッパー警部! 4人の身柄はしっかり拘束しております! どのイケメンから尋問をゴン攻めしますか!?」
「4人から話を聞く必要はないだろう。1人で十分だ」
「……は、はい? しかし容疑者は4人……」
「その必要はない、被害者がそうメッセージを残しているではないか」

 私はドクペを懐にしまうと、被害者が残したダイイングメッセージを指さした。








「イミフなダイイングメッセージ・解答編」



 『イミフなダイイングメッセージ殺人事件』は、私の名推理によって電撃解決を迎えた。

 犯人は学生からの付き合いである菊池伸晃。無理やり取調室に連行して事情聴取という名の尋問を繰り返し、

「ぼ、僕が彼女を殺したんですぅ……。だから、ひっぐ、お願いですから、もうドクターペッパーを飲ませないでください……!」

 と白状させたのだ。

 この捜査手段が違法と呼ばれても、私は何ひとつ気にしない。どうせ困るのは検察だ。それに菊池が犯人であることは、被害者の『ダイイングメッセージ』を見れば明らかな話だった。

 動機は単純だ。社会人になったら結婚しようと考えていたのに、被害者が複数の男と浮気していることが発覚してしまった。それも1人や2人ではない。なんと13人もいた。逆上した菊池は思わず刃物で被害者の胸を包丁で突き刺してしまった。

 怒り狂う気持ちは理解できないこともない。しかし、このドクターペッパー警部がいる限り、法を犯す人間は許しておかないのだ。

「……毒島くん、聞いているのかね」
「あ、はい。聞いておりますとも」

 問題はその後だ。捜査方針を無視し、菊池を狙い撃ちにして無理やり自白させたため、上司である三津屋(みつや)警視正はとてもお怒りだった。

 今は説教部屋と呼ばれる個室に呼び出され、三津屋警視正からお叱りの言葉をいただいている。

「いいかね毒島くん。今回のような捜査は二度と認めないぞ。菊池が犯人だったから良かったが、君の独断による尋問は許されない行為だ。警察は組織、君は上司である私に従う義務がある。今後はスタンドプレイを控えたまえ」
「しかしですね、被害者のダイイングメッセージが菊池を示して……」

 揉み手を擦りながら言い訳してみたが、三津屋警視正の怒りに油を注いだだけだった。

「やり方が悪いんだよ! あんなダイイングメッセージだけでは物的証拠にならないだろうが! いいかね、しっかりと地道に捜査し、確固たる物的証拠を集めて逮捕するのが我々の役目だ。君のカンだけで事情聴取から自白させるとは……。もし菊池が犯人ではなかったらどうするつもりだったのだね!」
「菊池が犯人、もしくは関係者であることは明白でした。NumLock状態で入力した名前を残したんです。ノートPCでNumLockした状態でローマ字で『菊池』を書くと『2524ch5』に……」
「黙りたまえ! 君は私がパソコンに弱いことを知っているだろう!? なんだナムロックってのは!? 私は横文字が大嫌いなんだ!」
「一般的なノートPCにはあるんですがねぇ。時々、間違って押しません?」
「もういい! 君の言っていることはさっぱりわからん! とにかく、今後は私の捜査方針に従うんだ! あと被疑者にドクターペッパーを飲ませるんじゃない!」

 三津屋警視正は顔を真っ赤にして叫んでいる。現場の叩き上げである私とキャリア組の三津屋警視正では、そもそも捜査に対する考え方が違うのだろう。恐らくどれだけ話し合っても平行線を辿るだけだ。

「……承知しました。今後は従いましょう」

 軽く敬礼して部屋を出ようとすると、三津屋警視正がもうひとつ小言を飛ばしてきた。

「あと毒島くん……いや、ドクペ」
「はぁ、まだ何か?」

 振り返ると三津屋警視正が鬼のような形相で睨んでいる。まだ何か言いたいことがあるのだろうか。

「なぜ君は、殺人現場でドクターペッパーなんかを飲んでいるのかね」
「えっ? そ、それはですね……その、周囲の、期待に応えるために……」
「何が周囲の期待だ!」
 
 ドン、と机を叩いて三津屋警視正が叫ぶ。

「どこの世界に殺人現場で炭酸飲料を飲むデカがいるんだ!? バカじゃないのか! 目の前にはホトケさんが寝てるんだぞ!? よくそんな状況でシュワシュワした物を飲めるな! 殺人現場は飲食禁止! この当たり前のルールぐらいは守ってくれないかね!」
「いやぁ……なんか、その、飲むと集中できるんですよね」
「ドクターペッパーなんか飲まなくても職務に集中しろ! いいか! 次にドクターペッパーを現場で飲んでみろ! 捜査一課から飛ばしてやるからな!」
「そ、そこまで怒ることですか?」
「そこまで怒ることだよ!」

 三津屋警視正はそう言うと、懐から三ツ矢サイダーを取り出した。

「よくもまぁドクターペッパーという薬品みたいな炭酸飲料が飲めるものだ。いいかね、至高の炭酸飲料はこの三ツ矢サイダーなのだよ」

 ため息を吐きながら、三津屋警視正が言葉を続ける。

「この透明感のある爽やかなサイダー……。飲めば口の中で炭酸と甘味が弾けるシンプルかつ奥深い味わい……。これこそ食文化の頂点に立つ日本が生み出した炭酸飲料の傑作だ。なぜスプライトやセブンアップを押しのけて『ソーダ水』の頂点に立っているのか理解できるかね? これは管理かつ厳選された純水のみを使っているためクリアな喉越しを持ち、特殊なフレーバーをいくつもブレンドしている。香りから細かい味まで微調整を加えているのだ。だからこそ『ソーダ水』なのに奥深い味わいを演出している。そして何より製造過程で高温処理をしていないのだ。だからこそ爽やかな風味を損なうこともない。この現代日本が生み出した炭酸飲料の傑作を少しは理解したまえ」

 どうやら三津屋警視正は三ツ矢サイダーがお気に入りで、ドクターペッパーは嫌いなご様子だ。正直なことをいえば、私は炭酸飲料自体があまり好みではない。

「いやぁ、私にはちょっとわかりませんね……」
「はっ! 君の舌は味覚障害か! だからドクターペッパーなんかを飲んでいるのだな! そんなもの、私に言わせれば毒水だよ! この三ツ矢サイダーの繊細な味に比べたら、ドクターペッパーなんで毒の入った炭酸だよ!」
「そこまで言わなくても……。これはこれでクセのある味が……」
「黙りたまえ! とにかく現場では炭酸飲料を飲むな! 私だって三ツ矢サイダーを飲みたいのを我慢しているんだぞ! 二度と飲むな!」
「はぁ……」
「わかったら出て行け! この毒物を愛するデカめ!」

 私は少々複雑な心境で説教部屋を後にした。別に好んでドクターペッパーを飲んでいるワケではない。ただなぜか、推理を閃く時になると飲んでしまう。なぜなのか私としてもわからない。

「ふぅ……。なんだか喉が乾いたな。ウーロン茶でも買うか」

 自販機の前で小銭を取り出していると、同僚の美人刑事、後藤檸檬(ごとうれもん)がやって来た。

「あっ! ドクターペッパー警部じゃないですか。この間はお手柄でしたね」
「ありがとう。だが三津屋さんには怒られてしまったよ」

 後藤刑事が励ますように、私の肩を気軽に叩く。

「あんなの無視しておけばいいんですよ。どうせキャリア組は現場の苦労を知らないんですから。特に私、三津屋さんは大嫌いなんです」
「そんなことを大声で言っちゃいかんぞ」
「えへへ、ドクターペッパー警部の前だけですよ」

 財布を見るとちょうど小銭が切れている。困ったことに万札しか入っていない。この自販機は千円札しか使えないのだ。

「あれ、もしかして小銭がないんですか?」
「うっかり切らしてしまったようだ。冷たい物が飲みたかったのだが仕方ないな」
「なんだ、それなら言ってくださいよ。警部の事件解決祝いに奢りますよ」
「なに? い、いや、それには及ばない……」
「遠慮しないでくださいよ。私はレモンティーにしよっと。ドクターペッパー警部は何にします?」

 私はじっとウーロン茶を見つめた。これが飲みたい。利尿作用が強すぎるので張り込みの際には飲めないお茶だ。だからこそウーロン茶を飲みたい。

 私が迷っていると後藤刑事は苦笑しながらひとつのボタンを押した。

「えへへ、警部には無駄な質問でしたね。えい、ポチっとな」
「あっ! 後藤くん! そ、それは……」

 遅かった。取り出し口にペットボトルが落ち、後藤刑事が中から『午後の紅茶・レモンティー』と『ドクターペッパー』を取り出した。

「はい警部! 受け取ってください!」
「すまないな……」
「ホントに警部はそれが好きですよね。さすがドクターペッパー警部!」

 薬品臭い炭酸を喉に流しこみながら、私は深くため息を吐いた。

 私は通称ドクターペッパー警部。これを飲めば事件を電撃解決することでお馴染みだ。だが、本当はウーロン茶が好きなのだ。





(おしまい)


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