私の母へ
私の母は、とてもかわいらしい性格だなと、
立場は子どもながらも、ずっと思ってきた
母の性格ってこんななんだな、とぼんやりでも洞察できたのはきっと小学生の頃高学年くらいだったと思う
それまでは、根拠のない安心感、包容力
何が起きても、あなたがいれば大丈夫と思わせてくれる女神だった
小学校高学年になって、母が私にかけてくれる言葉の選びかた、アプローチの仕方が
「母独自のもの」だと気づいた時、この人は可愛らしい人なんだなと漠然と感じた気がする
天然というか、狙ってないだろうけど可愛らしいというか
そんな母を「かわいらしい」以外の言葉で形容するなら「甲斐甲斐しい」だと強く思う
形容詞に拘らず、副詞で表現するなら「献身的」
世話焼きというのとは違う
母は、献身的であり、誰かの役に立つことに最上の喜びを感じるのではないかと思う
それが、自分が愛する我が子からなら殊更だったんじゃないかなと
「あなたのおかげで助かった」「ありがとう」のひとことが
彼女にとっての至極ではないかとも思う
私の祖母、つまり母にとっての母が、
足腰が弱り認知症がすすんでも、できる限りの介護で手を尽くし心を砕く献身的に接していた
祖母は他界したけれど、祖母の命日には欠かさず墓参りをする
花が好きだった祖母に、花をたむける
相手の喜びが、自分の喜びとオーバーラップすることが多いんだろうとつくづく思う
なのに、というかなんというか
私は、子どもの頃に、無意識に、かつ、たくさん甘えさせてもらって、自己肯定感高めに育ったからなのか、
大人になってから、1人でなんでもできる人間になってしまったからか、
理由は分からないけれども、とにかく大人になってからは、彼女に甘えるのが下手になった
そんな私を見て、母は本当は手を貸したいのに、
「手が必要ならいつでも声をかけて」と言ってくれる
母は、いつでも私の人生の主役を「私」にしてくれた
いつでも、母は、私の人生が最高になるようにと、表に出ない立役者だった
ありがとう
そんな母へ
今からお願いしておこう
もし私に何かあった時
代わりたいなんて思わずに、自分の人生を楽しんでほしい
孫を愛し、草花を愛し、体を動かすのを愛してほしい
そのためには、気が進まなくてもいつか足のオペを前向きに検討するようにね
そして、泣きすぎて目を腫らしてることが1日でも少ないと嬉しい
それから、私に花をたむけてくれるなら、毎日じゃなくて誕生日にお願いね
誕生日は、あなたのお腹で育った私が、
初めてあなたに会えた日
大切な日だから
あなたもきっと、私に会えて人生で最大に幸せだった日のひとつでしょうから
お歳暮のシーズンになったら、私を思い出して
私との楽しかった思い出を思い出して、笑ってね
私の大切な娘と、息子に、
私が幼かった頃の話をしてあげて
娘が10歳だったら、「私が10歳の頃はね」と記憶の限り伝えてあげて
いいエピソードばかりじゃなくていいの
失敗したりちょっと恥ずかしいやつでもいいよ
じゃっよろしくー
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