長距離通学で何を得ていたか、3年間を経て振り返ってみるね

行き帰りそれぞれ2時間、行き帰り合わせて4時間の通学時間がなくなろうとしてる。高校の時からこの生活をしているので、もう3年ちょいしてることになるね。三年間もよく耐えたなと思うのだけど、高校の頃はコロナで活動が制限されていてあまり学校に行く日がない期間があったり、夜遅くまでの活動が少なかったから耐えられたのかもしれない。でもコロナの制限が全部なくなった今、やりたいことをするのに通学時間がネックになって、耐えられなくなって大学のキャンパスの中にある寮に入ることにした。寮に応募すると決めたときは通学の限界がきていて、親に頼み込んで応募した。失うことなんか何もなくて、私は寮に入ったら得ることばかりだと思っていたけど、全然そんなことなかったなー、と最近思う。学校に行く2時間、帰る2時間は次行く場所に適応する準備っぽくもあって、心を落ち着けるための時間でもあって、その時間のおかげで学校に家に、すっと馴染めていたような気がする。その2時間のおかげで心が追いつくというか。本を読んだり映画やアニメを観たりスマホをいじったり考えに耽ったりして、きっとその時間は無駄なんかじゃなくて、私の人生を分厚くしてくれたような気がしている。そうであってほしい。友達と帰ることもあって楽しかった。学校の集まりのあと帰るとき、会にいた初めての子と何となく帰り道が一緒になって、帰る方面が一緒だったからたまたま仲良くなったり。普通に友達と帰る時もあって、空気のよくない中央線であーでもないこーでもないと話し合ったり。そういう、何気ないけど深い会話って「帰り道」にしか起こり得ないように思うことが多い。会おうって約束してわざわざ会うよりずっと、気だるい空気の中で交わされる会話には何かの力が宿ってることが多い気がする。帰り道の哲学。たまにする寄り道も楽しかった。ノープランであまり知らない街を歩く時間って、一番心地よい時間だったかも。ふと思い立って中野を散歩して変なヘアピンを買ったり、下北沢を歩いて好きな本屋さんを見つけたり。学校に間に合うように向かっていたのに、どうしても授業に出るのが嫌で吉祥寺のカフェで時間を潰したりもした。サボりとカフェ巡りを兼ねるとかいう、大学生らしい楽しいこともした。寮に入ったらそういうことが「ふと思い立って」とか「何となく」はできなくなるんだなぁと思うと、さみしい。2時間かかっても家に帰ったら父と母に会えて、母のご飯を食べさせてもらえて、父と何でもない話をしながらお菓子を食べるみたいな日常が永遠に続く幸せがあって。「長距離通学」そのものにあまり意味はないけど、そこに付随してくるいろんなもの、寄り道、家、家族、そういうものにすごく意味があったんだなぁ、と寮に入ることになった今ようやく気づき始めています。もっと早く気づけたらな〜。

毎日満員電車に押し込められていること、遅延の電車を待っている時の寒いホーム、家が近い子の通学の文句を聞かされて悔しくて仕方なかったこと、寝不足で授業で寝ることを繰り返していたこと、そういうつらかった日々のことをなかったことにするつもりはなくて、でも長距離通学にもなにかしらの意味があって、得ていたものがあったはずだということ。それを感謝しながら、でもやっぱり満員電車はクソだったなと思いながら、寮生活を始めたいと思います。寮に入ったら、これまで得ていたものは確実に失うわけだけど、これまで得られなかったものを得るわけで。めいっぱい得たい。とくに時間をたくさん得るはずなので、たくさん寝て勉強して自炊してちゃんとバイトもして楽しいことしよう。得ているものを忘れずに、すこやかに生きます!!


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