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元日の日刊スポーツ紙面を振り返る 星野仙一氏がルーキー清原に「童貞じゃないだろ?」

あけましておめでとうございます。
今年はnoteに再挑戦しようと決意しました。

さて、毎年1月1日は朝起きると、すぐにポストへ行きます。ポストから取り出す新聞はいつもよりズッシリと重い。通常の紙面に加え、別刷りの特別版も挿入されているからです。この重みを手にすると、新しい年の訪れを感じます。

2024年(令和6年)1月1日、日刊スポーツの1面は「日本一忙しいアナウンサー 安住さん 結婚」。TBS安住紳一郎アナウンサーが結婚するというニュースでした。

「羽田空港でお弁当を長時間物色している女性がいて、面白い人だなぁ…と思って、声をかけたのが知り合うきっかけでした」という出会いがユニークですね。

正月らしい企画は2面の巨人阿部慎之助監督のインタビューです。44歳と若い監督らしく勢いがある言葉が並び、文字の先に阿部監督の人柄が見えるような、いい記事でした。記者の立場からいえば、阿部監督の言葉力はもちろん、書き手の腕がいいのだと付け加えておきましょう。

1年のスターとなる1月1日の紙面は、記者も一層の力を注ぎます。安住アナ結婚のようなニュースを当てたり、阿部監督のインタビューのような企画を準備します。

過去の正月紙面を振り返ってみましょう。

古くは1975年(昭和50年)1月1日の紙面が印象深いです。この年は巨人に長嶋茂雄監督が誕生します。ミスタープロ野球が引退し、監督になるということで当然のように長嶋監督が1面ですが、主役は本人ではなく、当時小学3年生の長男・一茂くんです。彼の作文が1面記事になっています。

「ぼくのパパは、ママよりも、ずっとやさしい」
「ぼくのパパが、せんしゅをやめた時は、悲しかった。だってパパがないていたのをはじめてみたんだ。もちろん、かなしなみだではなく、うれし涙なのを知っていた」

選手時代、長嶋さんは背番号3をつけていましたが、最初の監督時代は「90」です。その番号を選んだのは一茂君。その秘話も描かれています。

「いんたいしたつぎの朝、パパとぼくといっしょにあさごはんをたべた。その時、パパに、90番をつけたらいいな、といった。そうしたら、どうして90番がいいのと、パパがきいた。だって……」

なかなかの名文なので、日刊スポーツプレミアムでは全文を掲載しました。

1983年(昭和58年)には「落合 王道場に入門」という記事があります。前年に初めて3冠王を獲得したロッテ落合博満選手が、巨人王貞治助監督とバッティング談義をするというものです。

落合選手が、王さんのバッティングを参考にしていたという言葉に、王さんが「私のフォームと君のフォームは全然違うけど、一体どの部分を取り入れたの」と聞くシーンなど、今読んでも興味深い。

正月らしい好企画は1985年(昭和60年)と1986年(昭和61年)と2年連続で掲載された、星野仙一氏と新人選手の対談です。

1985年のゲストはドラフト1位トリオ。巨人1位の上田和明内野手(慶大)、大洋1位の竹田光訓投手(明大)、ヤクルト1位の広沢克己内野手(明大)です。

星野氏が「それじゃ、キミたちのプロ適正を見るために、今からガンガンむしるぞ。まず、ガールフレンドのことを聞こうか」などと突っ込み、彼女の存在やナンパの様子まで聞き出しています。

4人で一緒に風呂に入っている写真まで載っており、和やかな雰囲気で進んだインタビューの様子が伝わってきます。

翌1986年のゲストは西武1位の清原和博内野手(PL学園)。

ここでも星野氏は女性関係について突っ込みます。

星野 ところでプロに入ったら女には気をつけなきゃあかんぞ。まさか童貞じゃないだろ。
清原 (困った表情で)はあ、まあ……。
星野 もてるだろうから、ガールフレンドもたくさんいるだろうな。
清原 はい、たくさんいます。
星野 本命は?
清原 まあ、一応。

日刊スポーツは創刊した1946年(昭和21年)3月6日から、約2万8000号もの新聞を発行しています。その中から懐かしい時代、できごとを振り返る企画「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」を連載しています。

今年もこのnoteも含め、たくさんの記事を書いていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。